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曇天に梅ほころびて修善寺の寄り道をして頼家の墓 [人生]

またしても漂白の思い湧き出で
ふらり電車に飛び乗る
渋谷駅界隈
前回は自転車置き場がなくなっていたが
今回は東急プラザの再建されているのに気づく
ここを壊して立て替えますとお触れ書きが出たのはいつの昔だったか
気がつけばあっという間だった
品川8時新幹線9時には三島
伊豆箱根鉄道に乗り換えて9時半には修善寺に着いていた

それにしても空一面にたちこめた灰色の雲
富士のふの字も見えやしない

雨が降らないだけましと思うしかなし
それにしてもこの冬いちばんの冷え込みのなか

日枝神社を皮切りに修善寺徘徊の始まり

福地山修禅寺は空海(弘法大師)の創建で、去年訪れた鎌倉の建長寺(巨福山)の開山・
南宋から来た禅僧の蘭渓道隆がいたこともある。頼朝の息子・頼家や弟・範頼もここに幽閉されていた。
その後廃れていたのを再興したのが、これまた去年訪れた小田原に最後は居城を置いた
北条早雲(元々は備中の伊勢氏)である。早雲は伊豆から相模へ勢力を伸ばしていった武将である。

頼家の墓




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島木健作の『赤蛙』にちなむ赤蛙公園
『赤蛙』 https://www.aozora.gr.jp/cards/000008/files/7_20894.html
 範頼の墓 桂川沿いの温泉宿
私が泊まるのは素泊まりの安宿だが
桂川を挟んで湯の回廊のある菊屋旅館(最後の写真)は
夏目漱石の「修禅寺の大患」の場
彼はここで胃潰瘍の吐血をして生死の間をさまよった
それがその後の作風にも影響したらしい
社会悪に立ち向かう姿は失われ
個人の問題を扱うようになったのだとか
建長寺でもそうだったが
漱石とは意外なところで出くわす

すこぶる美味であった

岡本綺堂『修禅寺物語』 https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/1312_23045.html

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