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東京講演 チュニジア国民対話カルテット(2015年ノーベル平和賞) [その他 国際政治]


市民ネットワーク for TICAD 「みんなのTICADフォーラム」の開会式    (早稲田奉仕園 スコットホールにて 3/19) 10年ほど前の同じような会議は確か3日間で参加国、参加者もこれよりずっと多かったが、中身は今回のほう...

国境なき通訳団さんの投稿 2016年3月21日
 

このときの基調講演「チュニジア国民対話カルテット」(2015年ノーベル平和賞
を講師と通訳のメモから忘れないうちに再現しようと思う。
 


チュニジア国民対話  チュニジア人権擁護連盟 副代表 アリ・ゼディニ

まずはお招き下さった市民フォーラム
for TICADとアフリカ日本協議会の皆様にお礼を申し上げます。アフリカのことに関心を抱いて頂き、感謝いたしておりますし、今後ともお互いの協力と友好が深まることを願っております。

今回、チュニジアで革命と政治的移行に成功した私たちの経験を皆さんに伝える機会を頂き、嬉しく思います。今日は、私たちが国民対話を進め、
2015年のノーベル平和賞を受賞するに至った経緯についてお話をします。皆さんの理解が深まるよう、まず歴史的な背景に遡ったあと、革命の前後の政治的状況を説明し、国民対話の話に移ります。

チュニジアの歴史

まず、チュニジアの歴史の概観ですが、チュニジアは北アフリカに位置し、現在の人口は
1,100万人、3,000年余りの歴史があり、様々の文明が栄えました。主なものだけでも、フェニキア、ローマ、ビザンチン、スペイン、アラブ、オットマン、フランスです。さらに北アフリカ全域がそうであるように、先住民であるベルベル人の存在も忘れてはなりません。

近現代でいいますと、独立が
1956 320日。それまではフランスの植民地でした。それが始まったのは1881年です。

独立後の政府は、特に共和国大統領がそうでしたが、世俗派で、社会的政策は1959年憲法に基づくもので、3つの柱がありました。

1つ目が教育。これは全国民に対する義務教育です。
2つ目が保健。医療は無償です。
3つ目が女性の解放です。

女性の解放は1956813日「個人の地位に関する法」で実現しました。これにより一夫多妻は禁じられ、男性の持つ市民的・政治的権利はすべて女性にも与えられるようになりました。そして妊娠中絶の権利も認められました。こんにちヨーロッパの一部の国でもまだ認められていないことです。たとえばアイルランドがそうです。

しかし政府は民族主義的ではあっても民主主義的ではありませんでした。すべての権力が大統領に集中していたのです。そのためブルギバ大統領の後期には対立も生じました。彼の後を誰が継ぐかという問題ですが、1987117日にクーデターが起き、ベン・アリ将軍が権力を掌握します。彼はその後23年間にわたってすべての権力を手中に収め国を治めますが、なかんずく内務省に頼りました。つまり警察ということです。

そのベン・アリ大統領も2011114日に追放されます。民衆の蜂起によってです。そのきっかけは20101217日に行商人が自分に火を付けて自殺したことでした。それがチュニジア革命であり、新しい時代に突入しました。そしてそれは地域に続々と波及し、「アラブの春」と呼ばれました。エジプトにも、リビアにも、そして、モロッコ、イエメン、シリアなどにも広がって行ったのです。

国民対話

2011年1月の革命のあと、政治的空白を避けようと、政治指導者層と市民社会は暫定的な政府を作ることで合意しました。そのために選挙をしますが、それは制憲議会を設置するためのものです。その議会でチュニジアの新しい憲法を起草するのです。

選挙は20111023日に行なわれました。透明性のある選挙です。それまでの形だけの選挙、投票の前から結果が分かっているような旧体制下の選挙の伝統が、打ち破られました。 

しかし選挙はとても緊張した雰囲気のなか行なわれました。二つの大きな勢力の間の綱引きです。

かたや、イスラム主義的傾向のある勢力。組織力でまさり、資金力もあります。
かたや、世俗派。すなわち左派、中道左派、リベラル派です。ベン・アリ体制下、弾圧され、排除されていた人々です。

この制憲議会選挙ではイスラム穏健派のアンナハダが第1党となりました。しかし、単独で絶対多数を占めることはできず、他2党との連立となります。「トロイカ」体制と呼ばれましたが、この政府が制憲議会と共に国を1年間任されることになりました。

しかし、実際に審議が始まると憲法の中身に関してさっそく対立が鮮明になってきます。世俗派はそこに神権制国家の臭いをかぎつけました。特に、イスラム派主導の政府が、保守・過激派であるサラフィストの自由な振る舞いを認めるようになるのではないか、という恐れです。彼らがモスクの大半を掌握するようになり、そこで政治プロパガンダを始めないか。そしてシャリア(イスラム法)を押し付けるようになっていくのではないか。しかし、それはチュニジア人が本来的に持っている寛容と平和の精神とは相容れない。

やがてその対立は暴力にもつながり、サラフィストの暴力が頂点に達したのが左派の指導者、人民戦線のショクリ・ベライド議員の暗殺でした。201326日のことです。しかしこの事件は、チュニジア社会に前代未聞の反応を惹き起こします。300万人の非暴力的な行動です。市民が通りに繰り出し、この左派の指導者の死に弔意を表したのです。

野党は救国戦線を結成し、内閣総辞職と制憲議会の解散を求めました。しかしトロイカ体制の連立政権は、選挙で選ばれた自分たちの正当性を主張し、聞く耳を持ちません。

こういった状況のもと、市民社会の最初のイニシアティブが発揮されたのでした。局面打開のために国民対話を、という動きです。

しかしイスラム穏健派政党アンナハダが頑な姿勢を崩さず、この試みは成功しませんでした。

そして2件目の政治的暗殺が起きます。同じく左派人民戦線のもう1人の指導者ムハンマド・ブラヒミがサラフィストたちによって殺されたのです。それは最初の暗殺事件から6ケ月を経た2013725日のことでした。国は内戦の瀬戸際です。

このとき通りに繰り出したのは2派の支持者たちでした。

かたや、世俗派(野党)。イスラム派主導の政府の退陣と制憲議会の解散を要求。
かたや、イスラム派。政権につながっています。彼らにしてみれば野党の要求は選挙の正当性を否定するクーデターに等しいものです。

こういった政治的雰囲気と人々の間の緊張の中、市民社会の3つの大きな団体が動きます。

チュニジア労働総連合
(Union générale tunisienne du travail)
チュニジア人権擁護連盟 (Ligue tunisienne des droits de l’homme)
チュニジア全国弁護士協会 (Ordre national des avocats de Tunisie)

これら3つの歴史的正当性を有する団体が自分たちの道義的威信をかけて始めた新しい取り組みが、国民対話です。そして成功を期するためチュニジア産業商業手工業連合会(Union tunisienne de l’industrie, du commerce et de l’artisanat)も参加させ、大同団結とします。それまでこの連合会は政府寄りの団体でしたが、こうしてカルテットが生まれたのです。

国民対話運動の考え方は、要するに、選挙の正当性と、政党や市民社会のコンセンサスという国民合意の正当性を組み合わせることにありました。

この国民対話カルテットの取り組みは「行程表」という文書に提示されました。そこには3つの柱があり、それらは並行して同時に進む行程でもあります。

1つ目が政府の行程。政府は実務的テクノクラート政権とし、独立系・無所属の人物が率い、政権に入る人は移行期の選挙に立候補はできません。

2つ目は憲法制定の行程。制憲議会は存続させ、期限を設けて憲法の起草に権限を限定します。

3つ目の選挙の行程では、専門家の参加のもと選挙法案を作成し、制憲議会に採決させます。さらに、選挙のための独立した機関、選挙管理委員会を設置します。

この「行程表」は、政府の権限より上に来る面もありました。議会選挙や大統領選挙の日程を優先させたり、政権内の人事の変更には中立性の維持を確保させたりするのです。サラフィストが力づくで占拠していたモスクを国が接収するということもありました。モスクを政治的プロパガンダの場とするのではなく、純粋に礼拝の場にするためです。

国民対話の協議が、カルテットの主導のもと、諸政党が参加して始まりました。制憲議会に協議が響き渡り、
21の政党が対話の原則を受け入れました。21政党で制憲議会の絶対多数を確保、ほぼ全会一致と言ってもいい数です。

マラソン協議と厳しい交渉を経て、イスラム派の政党および連携する諸政党に、国の利益を考えて政権を明け渡すよう説得することができました。要は、憲法を優先させ、指導者には独立系の人物、かつイスラム派に対して敵意を抱いていない人物を据え、選挙に至るということでした。

憲法に関する交渉も困難なものでした。対話の始まる前に政権議会のために準備された案は全会一致で決まったものではありませんでしたし、世俗派はそこに神権制の要素を見いだしていました。

ということで、対立のない条項から通して行きました。難しい問題は、少しずつ、国民対話の精神で進めます。時には2党、
3党との個別協議でコンセンサスを築いていきました。

合意した条項は制憲議会に送って通過させます。条項によっては時間がかかりました。例えば信仰の自由に関するもの、男女平等に関するもの、あるいは議会や大統領の権力の形態に関するものがそうです。

こうしてまとめ上がった憲法は、民主国家の中でも最も優れた現代的な憲法の一つと世界的に認められているものです。人権を擁護する私たちの立場からすると死刑が廃止されなかったのは残念ですが、チュニジアはかれこれ20年ほど死刑の執行は凍結されているモラトリアムの状態です。いずれにせよ人権の問題のすべての側面を踏まえた憲法とすることができました。

選挙はまず議会選挙を、次に大統領選挙を行い、いずれも市民社会の監視団や国際監視団による監視が行なわれました。
EU、アメリカ、NDI、ヒューマン・ライツ・ウオッチなどです。

国民対話を行ったことで私たちはチュニジアでは流血の事態を避けることができました。シリア、リビア、エジプト、イエメンなどで起きたような流血の事態ですが、その回避は、私たちチュニジア人の優しく非常に開放的という地中海的気質や極めて寛容で反暴力的な風土がなければ、不可能なことだったでしょう。それがもたらした国民対話が
2015年のノーベル平和賞を受賞したのです。

課題


私たちは政治的移行に成功しましたが、生まれつつある私たちの民主主義が脱線しないためには2つの大きな課題があります。

それは先ず経済的、社会的な発展、そしてなかんずく若者の雇用(失業者は80万人)、特に高等教育を受けた人たち(30万人)の雇用、さらには内陸部の社会的発展です。

2つ目の課題はテロリズムです。テロリズム
は国際的な災難であるとともに、私たちチュニジア社会にとっては新しい異質なものであるだけに諸にその苦しみをかぶってしまいます。そして私たちが移行期の国家であるという弱点を突いてきます。

私たち人権の擁護者にとってのテロ対策は多次元的でなくてはなりません。

− 社会の弱者となった人たちの住む地区や地域の社会的開発
− 教育制度の改革
− 若者の批判精神や寛容な精神を培う文化や芸術の奨励
− 市民を平等に扱い、人権を尊重すること。警察を共和国の警察、市民のための警察とすること

もう1つの大きな問題はリビアの状況です。大きな不安定要素ですし、とりわけ脅威となるのがリビアに大量に存在する武器とその密輸です。不安定な状況に乗じてそれがチュニジアにも流れて来かねないのです。

いろいろと大変ではありますが、私たちは非常に楽観的です。私たちには至る所から友人の支援が寄せられます。アフリカ、ヨーロッパ、アメリカ、アジア。そして特に私たちの友人である日本の方々。日本は私たちの国にとって民主主義や開発のお手本、平和と希望の光です。私たちは肌の色や宗教や人種の違いを超えた友情をあらゆる国の市民と育みたいと思います。

最後に申し上げます。どうか皆さん、アフリカにいらして下さい。我が国チュニジアにいらして下さい。自然も歴史も人も宝石のようなこの地中海の国に。とても寛容で心優しい人々が皆さんを迎えてくれるでしょう。そして友情と協力関係をさらに育んでまいりましょう。
 

質疑応答

残されたごく短い質疑の時間、ひとつだけとして会場から質問を受け、
ATTAC アタックジャパンに所属するといいう方が、国民対話とNGOや市民運動などとのつながりを聞かれた。ゼディニ氏の答えは、次のようであった:

この運動はチュニジア純国産ということ。外国人の介入が一切ないということを言っておきたい。アフリカ人も、ヨーロッパ人もアメリカ人も関わっていない。純粋にチュニジア人市民社会の運動だった。

対話は最初3つの団体から始まった。そのうちでも最初は
UGTTチュニジア産業総同盟。非常に古い団体。1945年からある。歴史的な正当性がある。しかしベン・アリがいよいよ政府から追放されるというとき、先頭に立って戦った中に、人権擁護の関係の人々がいた。彼らも民衆に対する正当性、民衆の信用があった。弁護士たちもそうだ。歴史的正当性がある。そして口で人権擁護を説くだけでなく、先頭に立って政府に圧力をかけた。


通りに繰り出し政府に抗議する人の中に弁護士たちの姿があった。国民はそれをテレビで見ていて忘れなかった。

それから女性の団体も運動に加わった。この会場にも3人の女性リーダーがいるが、人権に関わる3つの団体を率いる人たちだ(訳注:アフリカ市民協議会
CCfAのマウンゴ・ムーキ氏、GCAPケニアのフロレンス・シェヴォ氏、アフリカ日本協議会の津山直子氏のことか)。チュニジアでも女性たちが活発に運動に加わっていた。チュニジア革命の一翼を担った。カルテットには市民が大きな役割を果たしたのだ。チュニジアではイスラム教の影響もあり女性の問題はタブーである面もあった。例えば、相続の権利もかつてはなかった。そのような女性たちの働き、それから若者たちの果たした役割も大きい。

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コメント 6

からしだね

普段、あまり接することが出来ないアフリカの方の声を聞かせていただいてありがとうございます。ゼディニ氏を通じてチュニジアの未来を感じることが出来、チュニジアへ行ってみたくなりました(私はチュニジアどころかアフリカに行ったことがありません)。

こういうお話を読ませていただくと、日本はとても恵まれた国なのにどうしてこう無気力なんだろう?などと思います。ここで皆で心を入れ替えて頑張れば、世界に貢献できる素晴らしい国に生まれ変われるのでは?と思います。もちろんチュニジアも課題山積だとは思いますが。

ところでこちらのブログとともに、寛兵衛さんのtwitter、いつも楽しみにしています。私は登録していませんから、最初のtweetしか読めないのですが、昨日(23日)の

日本は #原発 なしにはやっていけない
日本に原発は欠かせない
#ホラッチョ安倍 は
きょうもほら
あすもほら
ほらほら
ほら

には笑ってしまいました、、、
また思いきり笑わせてください。楽しみにしております。

by からしだね (2016-03-24 09:47) 

noraneko-kambei

からしだねさん、コメント大変ありがとうございます。

ノーベル平和賞とは言え、東京講演はまったく報じられていません(毎日新聞の中部版だかに切手よりちょっと大きいくらいの寸法の記事が出ただけ?)。団体受賞だからでしょうか、アフリカだからでしょうか、市民の運動だからでしょうか。

ゼディニさんの話で私が初めて知ったのは、チュニジア純国産の運動だったこと、そしてチュニジア人の温和で寛容という地中海気質が影響しているということです。しかし地中海気質でこれまでのところはエジプトのようにはならずに済んだかもしれませんが(それにチュニジアにはエジプトのような強大な軍隊がない)、サラフィストもいます(排除されて怒っているはず)、ISの要員、国別ではチュニジア人がいちばん多いですし(ゼディニ氏がテロ対策として若者の雇用とか教育の問題に触れるのもその辺がある)、となりのリビアは無政府状態で武器があふれ、それらが流入しないとも限りません。事実、この数ヶ月チュニジアではテロ事件が頻発し初めているのです。チュニジア革命はこれからが正念場でしょう。

by noraneko-kambei (2016-03-24 11:59) 

noraneko-kambei

私のツイートを読んで下さったとのこと。ありがとうございます。ツイートをやっていない人でも読める場所があります。so-netブログで、私のツイートしたものを1日遅れでまとめてくれているサイトです。もっと早く気がつけば良かったのですが、いつからだったか、転送されるようになりました。http://nrnkkmbtweets201509.blog.so-net.ne.jp/
by noraneko-kambei (2016-03-24 12:02) 

からしだね

ツィートのまとめサイトを教えて下さってありがとうございます。これは、どなたか寛兵衛さんのファンの方が作っておられるのでしょうか?ツイッターを自分でしていないせいか、仕組みがよく解っていないのですが、寛兵衛さんのツィートをもっとたくさんの方に読んでいただけたらいいのにと思います。
その理由は、
①何と言っても笑えるから。この時代に、ユーモアは貴重品です。
②指摘されていることが鋭い。
③これは推測ですけど、何より「自由」を大切にしておられるのでは?権力とか権威的なものから自由でいることを重んじておられるように感じます。

全然話は変わりますが、昨夜、「イミテーションゲーム」(第二次世界大戦中に、ドイツの暗号「エニグマ」を解読した数学者チューリングのお話)を見ました。カンバーバッチがあまり好きでないので、録画してしばらく見ずに放っておいたのですが、素晴らしかったです。
特に、「エニグマ」を解読してからの展開に圧倒されましたね。イギリスは大英帝国としての嫌な面も多々ありますが、いわゆるエリートの優秀さが半端ではないと思いました(単なる秀才ではない、ものごとに対する判断力ですとか行動力のことです)。チューリングの晩年(と言っても41歳ですが)は悲劇でしたが、ある意味自分の人生を生き抜いた人ですね。
イギリスではエニグマ解読は長年機密事項で、チューリングの存在が知られるようになったのはつい最近のことのようです。きっと日本でも、世界でも、こうして自分の人生を輝かせた無名の人はたくさんいると思うのです。
チュニジア人権擁護連盟の方たちのことがあまり報道されなかったことは残念ですが、そんなことで彼らの人生の輝きが曇らされることはないでしょう。
これから本当に正念場でしょうが(日本も正念場ですね!)、頑張って頂きたいものです。

by からしだね (2016-03-25 16:35) 

noraneko-kambei

ツイートのまとめサイトはso-netが自動的にやっているものです。
ツイッターはやっておられないとのことですが、自分を晒すのがお嫌でしたら、「非公開設定」がおすすめです。自分のことは名前も含め一切他人に知られずにできます(名前すら本名でなくていい)。他人からもフォローされない。
「非公開設定」つまり、他のツイッターから情報を受け取るだけの設定にするのです。報道機関(新聞や雑誌、テレビ)や特定ジャーナリストのツイートをフォローすると、最新のニュースや写真や映像が世界から届きます。
ツイート始めるのは簡単。アカウントを取得すればいい。検索すればやり方を説明しているサイトが見つかるはず。
by noraneko-kambei (2016-03-27 11:34) 

からしだね

ツィッターの利用法につきまして、丁寧なご説明ありがとうございました。そうですね、新しい情報を得るための手段として考える価値はあると思います。
by からしだね (2016-03-28 09:35) 

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