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訳者あとがき 『象にささやく男』 [『象にささやく男』]

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訳者あとがき

 この本はアンソニー・ローレンス著『The Elephant Whisperer』(ゾウにささやく男)(二〇〇九年刊)の日本語訳です。原著は「群れとアフリカの原野に生きる」という副題が付いています。義理の兄弟グレアム・スペンスを編集者として書き上げたノンフィクションで、ベストセラーになりました。

 ローレンスは一九五〇年、南アフリカのヨハネスブルグに生まれ、父の保険の事業を引き継ぎ、不動産業に拡大して成功したあと、環境保護の活動に転じます。南ア、クワズールー・ナタール州の二千へクタールという広大な私設野生動物保護区を購入しますが、そこで野生のゾウたちとたどった波瀾万丈を記したのがこの本です。スコットランド移民三世の著者は、父親の事業の関係で子供の頃からアフリカ南部を転々とし、その中で自然を愛する心を育みました。

 希有な人物です。その行動力。北に戦争で傷つき飢え死にしそうな動物たちがいれば飛んで行って助け、西に紛争でキタシロサイが絶滅の危機に瀕していると知ればジャングルに分け入って武装ゲリラに殺害をやめろと掛け合い、国連には、紛争時に環境破壊や野生動物の殺害を行うことを戦争犯罪とする決議案を提出、そして南アフリカでは自分で動物保護区を運営し、苦しむゾウたちにささやいた男なのです。相手は、人間のせいでこれまで辛い思いをし、心に闇を抱える野生のゾウの群れです。ささやいてどうなったか、その疾風怒濤の実話は本書に譲るとして、次にゾウの現状です。

 今アフリカではゾウの密猟と象牙の違法取引が急増しています。陸上最大の動物、最大の危機です。国連環境計画、国際自然保護連合IUCNなどが二〇一三年三月に発表した報告書によると、この十年で、殺されたアフリカゾウの数は二倍、押収された象牙は三倍に増えています。アフリカ象の個体数は全体では四二万から六五万頭(IUCNなどの二〇一三年推計)ですが、前述の報告書では二〇一一年には二万五千頭が殺されたと推計しています。アフリカ西部と中部では、自然増を上回る密猟の勢いといいます。このままだとやがて絶滅です。カメルーンや中央アフリカ共和国、コンゴ民主共和国では内戦で取り締まりもままならぬ状況がありました。カラシニコフ銃というゾウを殺せる武器も出回っています。たとえ内戦が終わっても、密猟は続くのです。密猟団、密輸団も暗躍しています。

 行き先は経済成長著しいアジアです。中国が突出しており、続いてタイです。日本もかつてははんこなどに使うため象牙の大量消費国でした。今では国内の象牙・象牙製品の管理・登録体制の整備を進めていますが、二〇〇六年には大阪税関で五トン近い象牙の密輸が発見されました。

 密猟は、これまで個体数の安定していたアフリカ東部や南部にも向かおうとしています。さらにアフリカ自身の開発や人口の急増で、ゾウの生息地は奪われて行きます。アフリカ象は今、IUCNのレッドリストでは絶滅危急種です。

 さらに近絶滅としてリスト最高位にあるのがアジアゾウの亜種、インドネシアのスマトラゾウです。アブラヤシの植林のために大規模開発が進み、オランウータンなどもそうですが、生息地を急速に奪われているのです。野生のスマトラゾウの推定個体数はWWF世界自然保護基金によると今三千頭足らずで、一九八五年の推定個体数のほぼ半分。しかしアフリカ中部の減少の速度はこれをもはるかに上回ります。

 アフリカ中部と言えば、この本の著者ローレンス・アンソニーは、二〇〇七年にコンゴ民主共和国の密林に赴き、ウガンダの反政府勢力「主の抵抗軍」にキタシロサイの保護を約束させました。その時の話は彼の『The Last Rhinos』(最後のサイ)(2012年)に描かれています。「枠にとらわれずに考えろと言うが、それではだめだ。枠にとらわれずに行動せよと言いたい」と言うアンソニーの面目躍如です。二〇〇三年四月にはなんとイラク戦争の最中にバグダッドに乗り込んで動物たちを救おうとしています。そのときの経験は『Babylon’s Ark』(邦題「戦火のバグダッド動物園を救え」早川書房版)に描かれています。

 戦火の中、身の危険も顧みぬアンソニーの勇敢さ大胆さは、本書の中でも遺憾なく発揮されています。ゾウたちとのやりとりは言うに及ばず、猛獣やワニ、毒蛇、山火事に大洪水、密猟者や一部部族社会との対決……。行動力の一方で、彼には非常に繊細な面もあります。トラウマを抱え、人間に敵意を抱いているゾウたちに、ささやく彼の姿がそれです。生き物の心理への深い洞察、観察眼。どこまでも控えめに、辛抱強く、思いやりをもって、献身的なセラピストのように接します。そうして彼はゾウの心を読み取り、ゾウへ自分の意思をも伝えることができるようになるのです。

 ゾウは、知性も、記憶も、優しい心も持ち合わせた素晴らしい生き物ですが、その記憶が恨みとなると、時にその激しい気性がむき出しになります。命がいくらあっても足りないような冒険を繰り広げたアンソニーですが、残念ながら二〇一二年に心臓発作で亡くなりました。不思議なことにそのとき、それまで長い間姿を見せていなかったゾウたちが長い道のりを行進し、弔問に訪れたといいます。

 脇役たちも豪華絢爛たる顔ぶれです。そして、この物語をさらに魅力的なものにし、どの章にも印象深い彩りが添えられています。ライオン、ヒョウ、ハイエナ、スイギュウ、ワニ、ブラックマンバ、ムフェジコブラ、パフ・アダー、オナガザル、バーク・スパイダー、ミツアナグマ、サバンナオオトカゲ、イボイノシシ、カワイノシシ、ソウゲンワシ、ゴマバラワシ、コシジロハゲワシ、クロワシミミズク、ヴォンド、ヨタカ……列挙し始めたら切りがありません。

 アンソニーには 自然保護と地元社会の経済発展を絡める構想があり、部族社会から支援も、反発も受けます。この本では伝統的部族社会の文化、風習、信仰などの面も描かれており、実に興味深いです。

 著者は環境保護のために国際的な非営利組織ジ・アース・オーガナイゼ―ションを創設したことにも触れています。環境保護、動物保護という地球的課題に孤軍奮闘の観のあるアンソニーですが、愛犬や愛妻や献身的なレンジャーたちに支えられながら、ユーモアを忘れず、いつも前向きに生きた人です。そんなゾウにささやく男アンソニーが、野生のゾウたちとたどった旅路、アフリカの原野で群れと過ごした彼の生活を記したのが本書です。

 ゾウという生き物の不思議な魅力がこの作品の至る所に描かれています。アフリカの大地や野生の生き物の神秘にも触れることができます。人はアンソニーを行くべき道を示してくれた偉大な師として読むこともできるでしょう。読む人によっていろいろな角度から入って行ける深い作品だと思います。

 記録的暑さの二〇一三年の夏でしたが、私はこの著者とともにゾウの世界に奥深く引き入れられ、暑さに気づかぬほど毎日ぞくぞくしながら翻訳に没頭しました。くじけそうになっていた人生、私も読んで訳して、生きて行こうという力がわいてきました。偉大な師を得たような気もしますし、素晴らしい友を得た気もします。多くの人に読んでもらいたい一書です。

中嶋 寛

 

象にささやく男 ちらし.pdf 

象にささやく男 ページ 
https://www.facebook.com/elephant.whisperer.Japan/

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コメント 2

からしだね

たった今、この記事を読ませていただいて寛兵衛さんのたゆまぬ?ユーモアの秘密が少しわかった気がしました。気力が失せそうになったら、パワーあふれる人の言葉に触れよう!これですね!!

「象にささやく男」、今度読んでみようと思います。
by からしだね (2016-03-22 09:36) 

noraneko-kambei

からしだねさん、ありがとうございます。確かにそういう面ありますね。気力が失せがちな人間なんです。
この本は激烈です。この本を訳し始める直前、私は人間がつくづく嫌になっていた。
by noraneko-kambei (2016-03-22 22:57) 

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