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色覚多様性 [ことば]

日本遺伝学会が、「誤解や偏見につながりかねなかったり、分かりにくかったりする用語」を改訂したという記事を読んで笑ってしまった。私は「色覚多様性」だそうだ。5文字も使って。なんか気持ち悪い。過保護で何かごまかされてる感じがする。

そもそも「多様性」というのは抽象的概念だししっくりこない。正常、異常というのは数の問題と割り切れば私はこれまでの「色覚異常」という言い方でも問題なかった。優劣、上下を言いたくない、他と違う、とだけ言いたいということなら「色覚相違」だ。私は「色覚相違者」。数の問題にしたいのなら、「色覚少数者」か。

自分としては「色弱」がいちばんしっくりしていたか。私は赤緑色弱。
これからは赤緑色覚多様性というの??

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遺伝の「優性」「劣性」使うのやめます 学会が用語改訂
朝日新聞 2017年9月6日
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人の意識が変わらなければ、ただの言葉によるごまかし。時間稼ぎ。その場しのぎ。逆に人の意識が変わり現実が変われば、言葉なんかどうでもよくなる。

言葉を変えて人の意識、社会の現実が変わるように後押し、ということなんだろうけど。「色覚多様性」ではよけい分からなくなる。

「多様性」には「生物多様性」といった具合に、あまりにも価値がありすぎる。「色覚多様性」では、私は言葉のうえではあまりに不自然に価値が与えられてしまっている。自分の現実に比してそれは滑稽でしかない。色彩の判別に必要な3つのチャンネルのうち1つが弱い(=色弱)。それは遺伝であり、どうすることもできない。大多数の人より弱くて劣っているという現実。それは受け入れざるをえない。「多様性」では自分も人も、ごまかされてしまうだけだ。へたすると状況は何も変わらないどころか、よけい悪くなる。

あ、私にはもう一つあった。毛髪的多様性だ。
この夏の抜け毛ははんぱじゃなかった。額から禿げ上がってくれればいいものを、カッパのようになってきて寂しさもひとしお。とっぺんが不毛の荒野になって地肌が不気味にテカっている。

あと左手にも多様性があった。。若い頃やりすぎておかしくなった。。おかげで楽器が弾けなくなった。。

いずれにせよ色覚異常の代わりに色覚多様性なることばを使い始めると、多様性ということば自体が変質してくると思う。日本語の語彙という構造、社会に共有されている意識という構造の中から「多様性」という言葉を選んでここにはめ込んだことにより、それによってやがてそれが構造へ逆に影響を及ぼし始めるというわけだ。そして「多様性」ということばの意味が変わってくる。ま、早い話、多様性=なんらかの欠陥といった意味になるだろうな。父親も友人も脳梗塞を起こしたが、幸いことばの多様性には至らなかったし、手足の多様性にもならなかった、みたいに。

そして、その間、社会や人々の意識が変わっていなければ、この「多様性」ということばも、やがて誰しもが識別できる否定的で差別的な色彩にどっぷり染まっているはずだ。



『古里や池に枯れ葉の色盲表』
http://noraneko-kambei.blog.so-net.ne.jp/2016-10-03

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