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宮殿の敷居ふみ安倍万歳の声きく時ぞ秋は悲しき [アベラ国]

安倍万歳の声2.jpeg

即位礼正殿の儀の最後、天皇陛下万歳三唱の音頭をとった安倍首相だったが、
敷居を踏んでの万歳だった。

しかもあの間伸びした感じの「ばんざ〜〜い」
東条英機の甲高く腹の底から響き渡る迫力には遠く及ばなかった。

音頭差
感じましたね。

万歳三唱が終わると同時に「我が軍」の礼砲。

しかし天皇は万歳三唱はやめてくれということだったらしい。
宮内庁関係者によると安倍に押し切られたのだと。未確認情報ながら。

安倍はやっぱりやりたかったのです。
明仁天皇のときも安倍は万歳三唱をやって、天皇(今の上皇)に嫌がられたのだとか。



「 天皇の政治利用に関し安倍には前科がある。サンフランシスコ講和条約が発効して61年となった2013年4月28日。安倍政権は当時の天皇・皇后両陛下の出席を求め、政府主催で「主権回復の日」を開いた。式典の開催を知った現上皇は「その当時、沖縄の主権はまだ回復されていません」と真っ先に指摘したという。

 講和条約で本土から切り離され、72年まで米国の施政下にあった沖縄で4月28日は「屈辱の日」と呼ばれる。憲法学者からも上がった「国民統合の象徴である天皇に世論が割れる行為をさせるべきではない」との異論を、政権側は両陛下の出席で封じ込めようとした格好である。

 沖縄の反発を押し切って開いた式典の最後、退席する両陛下に「天皇陛下万歳」の声が上がり、壇上の安倍らも一緒に両手を上げた。この光景に両陛下とも怪訝な表情を浮かべ、後に複雑な心境をのぞかせたという。」

前例踏襲でも違和感 安倍首相の「天皇陛下万歳」 日刊ゲンダイ
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/263635

式典の開催を知って「その当時、沖縄の主権はまだ回復されていません」と真っ先に指摘」するあたり、
明仁天皇(現在の上皇)は沖縄のことを気にしていた。それを受け継ぐと言った徳仁天皇。
やはり同じ「寄り添う」という言葉を使っても安倍とはまるで真逆の意味の言葉のようだ。

https://noraneko-kambei.blog.ss-blog.jp/2019-10-22
『偽物の「寄り添う」本物の「寄り添う」〜即位の礼』(のら猫)

平成の即位礼正殿の儀では、明仁天皇も海部首相も「日本国憲法を尊守」と明言。しかし今回は
「『憲法にのっとり』と表現が後退」。これも「改憲を目指す政権側の意向の反映で、あえて天皇に
そう語らせたのではないのか」と日刊ゲンダイだが、この辺もいかにも天皇と安倍の暗闘っぽい。

「6年前の『主権回復の日』の式典で、安倍首相は『憲法や教育基本法といった日本を形づくるものも
占領期間にできた』と発言。侵略戦争や植民地支配の過ちの結果、敗戦を迎え、占領下に置かれた歴史を
すっ飛ばし、占領期を『屈辱の歴史』と捉える考えが、首相の念頭にはある。この歴史修正主義に、
首相よりも若い天皇が巻き込まれないか心配です」

このように専門家の言葉を引用しているが、巻き込まれるどころか天皇は反撃に出ている。
パレードの延期など、強行したい安倍の意向をくじいているではないか。

何もかも安倍の意向が通る今の日本。安倍の意向に反対し、それをくじくことのできるのは
この天皇くらいではないのか。

もちろん主権者たる国民が目覚めれば、国民にこそそれはかなうのだけども、いま国民は
即位熱にうかされ、虹が出た、時ならぬ桜が咲いた、などと感激し、
それを安倍と混同して、内閣支持率も上がっているはず。。

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戦前回帰が「悲願」の安倍が「天皇陛下万歳」の音頭
というのはやはりなんとも気味が悪い
昭和18年神宮球場の学徒出陣式で
同じく天皇陛下万歳の音頭をとったのが
東条英機であった。

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