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今もなお赦しを乞いてドイツかな (マース外相演説〜ワルシャワ蜂起75周年) [歴史認識]

 赦し乞う外相 大統領
Poland Remembers Failed 1944 Revolt Against Germans

By Associated Press, Wire Service ContentAug. 1, 2019, at 11:55 a.m.

ワルシャワ蜂起75周年(1944年8月1日に始まりポーランド「国内軍」や市民ら20万人の犠牲者を出した
ポーランド抵抗運動のドイツ軍に対する蜂起75周年)にあたり、
ドイツとポーランドの外相がワルシャワで慰霊碑に花輪を捧げた。

ドイツのマース外相:

「私は、ドイツ人によってドイツの名のもと貴国に対してなされたことを恥じている。
 そして私は、その罪が戦後あまりにも長きにわたって沈黙させられていたことを恥じている」
German FM Maas.jpg独・マース外相

「(…)75年前この町とその住民に対しドイツ人によってドイツの名のもとに犯された罪は、とても言葉で言い表せるものではありません。(…)

そしてこれらの恐るべき出来事に対する責任は、ドイツが負います。

この責任はワルシャワを遥かに超えるものです。この国の他の地域でも、町を破壊し、村々をそっくり消し去りました。住民全員が追い出され、いわゆる「レーベンスラオム」を作ったのです。ーーなんと皮肉な言葉でしょう!「生きる空間」と言っても生きるのはドイツ人です。

しかし、首都ワルシャワの殲滅は、この戦争の中でもとりわけ暗い部分でした。それは、ポーランド人のアイデンティティを形作るあらゆるものを根絶しようという意図的な試みでした。しかし、今年の8月1日は、これまでの75年のどの8月1日もそうであったように、その試みがーーありがたいことにーー成功しなかったことの証明なのです。

私は今日ここに招かれたことに大変感動しています。これが当たり前のことでないのは重々承知しています。親愛なるヤツェク、招待してくれて本当にありがとう。これは友情をこめた格別の行為です。

私がここに参りましたのは、亡くなった人たちや犠牲者の家族の皆さんに敬意を表したいからです。そしてポーランド国民に赦しを乞いたいからです。

戦後、和解の手を差し伸べるのは往々にしてポーランド側であり、そうであればこそ、それだけ、すごいことであり、感動的だったのです。

その一つの例が、ポーランドの司教の方々が1965年の11月にドイツの司教らに宛てて書いた書簡の勇気ある一節です:

「私たちは赦します。そして私たちは赦しを乞います」

これは、とても見事な申し出でした。残念ながら、それが値する注目はこれまで一度も得られませんでしたが。

皆さん、過去に正直に向き合うことは、亡くなった方々への義務というだけではありません。私たち自身への義務でもあるのです。私たちが共に過去を記憶にとどめることによってしか、未来への道は共に切り開けないからです。

だからこそ、私たちはポーランド人の戦争の犠牲者に関する認識をドイツで高めることにもっと努めたいのです。そして、ワルシャワ蜂起が話題にのぼることがあまりにも少なすぎる特にドイツにおける状況を変えたいのです。

ですから私たちはこの知識を育むことを決めました。

例えば、ワルシャワ蜂起に関する展示が数日前ベルリンの中心部にある「恐怖の地形博物館」(恐怖のトポグラフィー博物館)で再び始まりました。

私たちはポーランドにおける戦争と占領の犠牲者の慰霊のための施設をベルリンに作ろうという構想を支持します。もっと早くから取り組むべきことでした。

この種の追悼施設はポーランドへの和解の意思表示であるばかりか、私たちドイツ人にとっても大切なことです。

過去の犯罪をなかったことにすることはできません。決して癒えることのない傷も少なくないはずです。

しかし、犠牲者たちの追悼が適切に続けられるようにすることはできるはずです。そして彼らがどんな人だったかを調べ、語り継ぎ、その物語を生かし続けることを、追悼することによってできるようにするのです。

ですから、私はワルシャワのピレツキ博物館がドイツの連邦公文書館と協力してワルシャワ蜂起に関するドイツの資料をディジタル化する計画だと聞いて喜んでいるのです。これらの資料はドイツ・ポーランドの記憶の一部です。ドイツ人の犯罪とポーランド人の勇気に関する辛い記憶であり、両国の将来の世代のために保存しなくてはならないものです。」 (…)


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