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「令和」にオスプレイが潜んでいた! [アベラ国]

「令和」になんとオスプレイが潜んでいるではないか。
宴の場が太宰府(中国に対する国防強化の拠点)だったことなどを考え合わせるとやっぱりこの元号はきな臭い。

オスプレイMV-22.jpgオスプレイ

令和の典拠に初めて日本の古典と政府が言う萬葉集の「梅花の歌」(大伴旅人)の一節:

     于時初春月氣淑風

は、中国(後漢)の時代の「帰田賦」を踏まえていた。

     於是仲春月時氣清

しかも、作者・張衡(ちょうこう)が仕えていた皇帝が「安帝」だったとは、話ができすぎている。

しかもしかも、張衡の『帰田賦』は、都洛陽の皇帝周辺の政治の愚かさと腐敗ぶりに嫌気がさして、
職を辞し田舎に帰るという詩句なのだ。

そして『帰田賦』の「於是仲春令月時和氣清」のくだりには注目すべき字句が続いていた。

     王睢鼓翼、鶬鶊哀鳴 (王睢おうしょ翼を鼓し、鶬鶊そうこう哀しげに鳴く)

「睢鳩(みさご)は羽ばたき、倉庚(うぐいす)は悲しげに鳴く」とあるのだ。

ミサゴ。そうだ。この鳥は英語でオスプレイと言う。

 ミサゴ
大伴旅人らが梅花の宴を催した場所は太宰府だった。
太宰府周辺はここ数年の大発見で大規模な羅城(城塞都市)だったことが明らかになりつつある。
白村江で日本が大敗したあと唐が攻めてくると危機感を募らせ、
中国に対する国防強化の一大拠点だったのだ。

https://noraneko-kambei.blog.so-net.ne.jp/2019-04-02
『古代における日本の対中国(唐)国防強化』

現代語訳はこちらのサイトから:

『令和の典拠、萬葉集の梅花の歌は、帰田賦を現代語訳してみた』
https://setsuhaji.com/post-6028/#st-toc-h-8

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