石の疎通 〜神の宿りし岩・磐座(いわくら)を巡る鎌倉散策 [日記]
雨のそぼふる梅雨6月、またしても鎌倉を彷徨ったのだった。
この日は『磐座百選』(出窓社/2018)の著者で磐座研究家の池田清隆さんに連れられ、
まずは江ノ島の神窟へ。
この2つの岩屋は江ノ島神社の御神体。空海や日蓮の入洞も由緒として伝わるという。
吾妻鏡には源頼朝がここで祈願したことが記されている。
文覚上人が弁才天を勧請、秘密の行法で懸命の祈祷、参籠断食21日に及べば、
神窟の霊験もあらたかにその7年後、奥州藤原氏は滅んだのだった。
昔の人は結構怖い。
暗闇にかがり火かかげ奥深くいにしえびとの修行の道かな
昔の人の思いを偲び今また自然を畏怖する心を取り戻したく思う。
今は「テーマパーク風のほらあな」、「パワースポット」、はては
「インバウンドの観光資源」、、
ああ何をか岩屋!
国家神道という偽造捏造神道を奉じる人たちが政治を牛耳る。
私も地の底で政治のホラ穴・安倍政権の終焉を密かに祈願したのだった。
洞窟は奥が修復中で入れず、結局、頼朝が寄進したという石鳥居は見ることができなかった。
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極楽寺の前から切り通しの坂を歩いて石上神社へ。
このあたりは旧東海道らしい。かつては海が迫っていたという。
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これが御神体の岩。
かつての岩礁を御神体とする神社
私は石をかき抱いてその霊力を取り込もうとした
これがほんとの
石の疎通
夏花やつわものどもが夢のあと
一味さんざん(1333年)鎌倉幕府が滅んだ場所
今から700年ほど前、新田義貞に攻められた14代執権・北条高時ら
北条一族の870人あまりが自害した場所。高時はもう執権やめてた。
鎌倉にはこのようなかつての墓だった洞窟(「やぐら」)がたくさんある。
壁が磨崖仏になっていたりもする。もともとは四角に掘られたものらしいが、
上の部分が崩れて丸くなっているものが多い。
4月に訪れた明月院にもあった。10年がかりの新企画「鎌倉百寺巡礼」の初回:
『遠隔地さほど行かねど円覚寺』 https://noraneko-kambei.blog.so-net.ne.jp/2019-04-27
鎌倉の歴史は背筋が凍るような怖い話ばかりだ。
この日は梅雨の真っ盛り、雲は一日中晴れず、雨が降ったり止んだり。
葛西ヶ谷の東勝寺跡から森の奥に足を踏み入れるというと、昼間なのに一帯は薄昏く、
かっぱの中は蒸し蒸しジメジメ、湿気と霊気で陰々滅々、ぬかるみに足は取られるわ、、
この日の散策の時空を超えた臨場感は最高潮に達したのだった。
パワースポット? といった視点、私はいつもスポッと抜けているのだが。
このすぐ近くに鶴岡八幡宮。その階段のどのあたりだろう。
鎌倉幕府3代将軍・実朝が甥の公暁(兄で2代将軍・頼家の息子)に襲われて殺されたのは。。
頼家の乳母の引きだった比企一族は頼朝の妻・政子の父、時政によって皆殺し
(はい、殺しときまさ、と言ったかどうかは知らぬが)。
木曽義仲だって仲良しにできたはずなのに兵を差し向け殺してしまうは、
もうよしたかと思えば人質にとってたその息子の義高を殺し、
嫁がせていた自分の娘は発狂。。
弟の義経だって殺して、
静御前の産んだ子も殺し、、
もう一人の弟範頼も殺すし、、
これでもまだ源氏三代、
そのあとは執権北条氏が16代、870人で腹切って滅亡する高時まで片時も人殺しの種は尽きず。
源氏の種は尽きても。
後醍醐天皇だの南北朝だの新田義貞、足利尊氏、、
ま、今回までで鎌倉5寺だが、あと95残っている鎌倉古寺巡礼。
幸か不幸か自分にはいわゆる霊感といういものがあまりない。
でもあそこ(一族の870人が腹を切ったという森)は、けっこう怖かった。
由比ヶ浜だと、静御前が産んだ義経の子が捨てられたのはどのあたりだろう、とか思ってしまう。。
2代将軍頼家が入浴中殺されたというのは修善寺だが。。
落馬で死んだ頼朝がまだ幸せに思えたり。。そんなことはないか。。
極楽と隣り合わせの地獄かな
極楽と隣り合わせの地獄かな
極楽寺から石上神社に向かう切り通しのところは古戦場。
鎌倉は宅地の造成とかやると人骨がいっぱい出てくるらしい。
宝戒寺思いのままにハギツバキ
ハクモクレンにシダレウメ咲きこの日は予定ではさらに北に行って「百八やぐら群」から「十王岩」(じゅうおういわ)〜
鎌倉建都の中央軸で閻魔大王を始め死後の世界の住人10人の王様のいる鎌倉の内と外との結界〜
を縦横に巡る予定だったのだが、江ノ島の船が運行中止だったり天候の影響、
さらには足腰の疲労もあって、ここまで、最後に宝戒寺の境内を散策して帰った。
宝戒寺は新田義貞から攻められて鎌倉幕府が崩壊後
北条氏の屋敷跡に北条一族の霊を弔うために
後醍醐天皇が足利尊氏に建立を命じた寺だという。
後醍醐天皇といえばこのブログでは前にも登場してもらっていた。
『1334 建武の新政 2018 兼務の失政』
https://noraneko-kambei.blog.so-net.ne.jp/2018-10-06
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