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政府の姿勢を被爆地は理解できません 長崎市長 [核兵器]

長崎出身の方が、長崎には原爆記念碑がない、とフェイスブックに書いておられた。平和記念像はあるが広島の原爆記念碑に当たる被災遺跡がない、というのだ。爆心直下の浦上天主堂がそれに当るものだったが、長崎は「米国への忖度から自ら消し去てしまった」。

浦上天主堂。長崎市議会は倒壊したままの姿での保存を望み、市長も同じ思いだったが、市長は訪米して帰国すると「再建を」と言い始めた、と聞いたことがある。再建してこそ平和と言い始めたと。この形で残ると世界のキリスト教国への影響大きく、反核兵器、反原発が世界の趨勢になりかねないとアメリカが恐れ、市長に「再建」を吹き込んだ、まさにそういう状況証拠だが、それ以上のことを私は知らない。



かつての長崎市長が訪米先でどういう人々と会ったのか。その足取りをたどって証言をあつめれば、浦上天主堂の再建をめぐる謎に光が当たるかもしれない。あるいは、日本に何か資料は残っていないか、家族の証言などはないのか。NHKで今週末、記録映画が放送されるが、まさにこの問題のようである(「幻の原爆ドーム ナガサキ 戦後13年目の選択」)。何か解明されたのだろうか。

『「幻の原爆遺構」長崎浦上天主堂』 
https://noraneko-kambei.blog.ss-blog.jp/2017-08-18

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これがこのまま残っていれば、世界に平和を訴える力は絶大だっただろう。 これを、同じ長崎の別な場所でもいい、このままの形で「復元」できないものか。私はそう思ってきた。 長崎の、どこかそう遠くない小高い丘の上に、破壊された浦上天主堂を破壊された姿そのままに復元する。 それともあまりにも痛ましい記念碑になってしまい、誰もそんなものは望まぬか。

日本政府の姿勢を「被爆地は到底理解できない」(田上富久・長崎市長、平和宣言、2017.8.9)

田上市長は、7月に国連で採択された核兵器禁止条約の交渉会議に参加しなかった日本政府の姿勢を「被爆地は到底理解できない」と非難し、条約を批准するよう迫った。 安倍首相は広島でのあいさつ同様、条約に言及せず。

田上市長:「ノーモア・ヒバクシャ」という被爆者の願いが多くの国々を動かした。「<ヒロシマ・ナガサキ条約>と呼びたい」「この条約をいかに活かし、歩みを進めることができるかが、人類に問われている」。

被爆者代表、長崎市の深堀好敏さん(88)は「『核は人類と共存できない』と確信している」と、原発偏重のエネルギー政策からの転換を訴えた。

安倍首相の言葉が空しい。「核兵器国と非核兵器国双方への働きかけを通じて国際社会を主導する決意」。どこに「主導」している姿があるというのか。ひたすらアメリカに追随しているだけじゃないか。

<長崎原爆の日>核禁止「批准を」市長、政府に迫る 毎日新聞 2017.8.9 https://mainichi.jp/articles/20170809/k00/00e/040/288000c





安倍首相 あいさつ
広島
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2017/0806hiroshima.html
長崎
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2016/0809nagasaki.html



町がすっかり消えてしまっている




長崎 若者 177.jpg
長崎 被爆者 178.jpg


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『ナガサキ消えたもう一つの「原爆ドーム」』高瀬毅著 平凡社 2009
このような本の存在を教えてもらいました。
 

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