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“平和国家”はこうして生まれた ~NHKスペシャルが安倍政権の目論見を打ち砕く(下) [戦争をする国 日本]

昨今の国会審議の空転ぶりは実に嘆かわしい。安倍総理をはじめ政府はひたすら質問をはぐらかすのみ。まともに答えようとしない。ばかりか、安倍総理など逆ギレに恫喝、見え透いた嘘を並べ、挙げ句の果ては審議を打ち切って強行採決。数にものを言わせての横暴、少数派の異議を封殺する、民主主義の名にも値しないここまでの横暴が、これまであっただろうか。

僕ちんは国家なり
この国は安倍が総理だ死ね日本言われなくとも死んでいる
首相こそ退陣望む国民の切なる願い推し量るべし
私は不愉快です 極めて不愉快です 本当に不愉快です

今だと対テロ等対策法案。野党はテロ対策に非ず、戦前の治安維持法のような危険極まりないものとして「共謀罪」の呼び名を使うが、法務大臣すら中身を満足に理解していないという醜態。いかにテロ対策というのが名ばかりのものか、いかに条約批准のためという正当化がまやかしか、いかに悪用されうるものか、具体的に議論を尽くすべきだし、どれだけ危険なものか、戦前の例を引き合いにもできよう。アメリカの愛国者法のもと、どれだけの権利の侵害が起きているか、例えばアメリカの人権団体ACLUのデータでも引き合いに議論もできるはずだ。そしてどれだけの効果があるのか。
イスラム教徒を入国禁止に ~ 大富豪 大統領を目指す
フランス政府「テロの予防的措置」を国務院に諮問

テロ対策の名の下、他国ですでに進む監視強化で、実際どれだけの害が起きているか、そして実際どれだけの効果が上がっているか、具体例を引いて比べてみれば、このような措置が野党の言う「百害あって一利なし」、極めて効果は限られ、その害悪と費用だけが桁違いに大きいことが国民の前に晒されるはずだ。しかし、そのような実質的な議論は行われず、非生産的なことばかりを続けている。キノコ狩りだの、花見に下見。
花見と下見と共謀罪 焦点化する国会審議
共謀罪、教育勅語によって進められる全体主義の「自治的」絶対化
なんじ国民、平和を欲すれば教育勅語に反対すべし

しかし今から70年前、終戦直後の国会は違った。帝国憲法(明治憲法)を改めるための小委員会(委員長はのちの首相・芦田均・日本自由党)には各政党から法律に詳しい議員が合計14人。長年の封印を解いて近年、その秘密会の速記録が公開され詳細が分かってきたが、議員らが口々に案を出し合い、1ヶ月の熱心な建設的な議論を経て原案(GHQ案に基づく日本政府案)に追加修正がなされていた。

例えば25条に生存権が設けられ、26条の義務教育は中学にまで延長、そして9条には「平和を希求」の文言が加わった。

鈴木義男議員(日本社会党・のちの法相)は「 ただ戦争をしない、軍備をみな捨てる」では「泣き言のような消極的な印象を与えるから、まず平和を愛好するのだということを宣言」しよう、と提案。他の議員らも続いた。犬養健(日本進歩党・のちの法相)「何か積極的な摂理として戦争はいかぬというような字が入ればなお良い」、、さらには平和愛好を教育の根本精神にと、自由党、社会党、進歩党の議員らの考えがまとまっていく。

「平和を希求」とまず宣言しようと提案し、9条の議論を引っ張っていった鈴木義男とはいかなる人物か。

↓ ↓ ↓ ↓ ↓

福島県出身で東大法学部卒の法律家、欧米に留学している。時代は1千万人の死者を出した世界大戦直後で、1919年のベルサイユ条約を経て、大戦の反省から平和のためにと国際連盟ができた国際協調の時代、戦争の違法化の流れという新しい時代(*「上」で登場した幣原喜重郎が外相として不戦条約を結んだ)。鈴木義男は帰国後、東北大学で教えた。

しかし日本は軍国主義の時代を迎える。教育現場に軍人が現れ軍事教練。鈴木は「殺人術を教える」と批判した。人類文化の理想は平和にある、と。(*「上」でも書いたが、昭和天皇の言葉「恒久平和は銃剣を突きつけて確立することはできません」を引用したのは、今年から銃剣道を中学の教科に加えた文科省の胸元にNHKが見舞ったきついひと突きと思えた私にとって、この部分、「教育現場に軍人」「軍事教練」「「殺人術」、これまた銃剣術を導入する学習指導要領の喉元に強烈なひと突きである。どうだ、参ったか、ヒゲの佐藤!)。

銃剣道がノドを突くシンゾーをぶち抜く

いずれにせよ鈴木は東北帝大を辞職せざるを得なかった。その後は弁護士としての仕事。治安維持法の犠牲者らの弁護人を務める。(*またしても共謀罪が連休明け強行採決かというこのタイミングによく紹介してくれたNHK)。

人類が作りかけた不戦の制度は結局機能せず、日本は連盟を脱退。再び大戦。日本人だけで310万人が死んだ。

1945年、再び大戦への反省から国連が設立される。鈴木義男は戦後、社会党の国会議員となり、国際社会と協力して平和を維持したい、日本も積極的に平和機構へ参加すべし、という考えであった。外務省出身で自由党の芦田均(帝国憲法改正小委員会委員長)とてそこは同じだった。

芦田は外務省の萩原徹・条約局長が記した意見書を読んでいた。NHKが新たに発掘した資料である。そこには、国際法規を憲法と共に尊重するよう書かれていた。萩原は国際連盟を脱退した日本の「ドンキホーテ式外交」への反省から国際法規遵守の重要性を説いたという。

こうして憲法の最高法規性を規定した98条は、第2項に、条約と国際法規は「誠実に遵守すること」と加わった。

芦田はそれを9条の修正に生かそうとする。小委員会では各党の議員が競って案を出した。

廿日出庬(自由党)「色々折衷して <日本国は平和を愛好し国際信義を重んじることを国是として国権の発動たる戦争> と続け…」、芦田(自由党)「ただ平和が好きだというのみならず」、森戸辰男(社会党)「<日本国は恒久平和の愛好者として国権の発動たる戦争> 云々というようにして良い」。

日を改め芦田は試案としてこう提起した。「<日本国民は正義と秩序とを基調とする国際平和を誠実に希求し、陸海空軍その他の戦力を保持せず、国の交戦権を否認することを声明す>」。すると鈴木が言った。「<戦力を保持しない、国の交戦権を否認する>と言い放てばよい」。そのように「意思表示をするのです」と。

誰しもが平和を欲した。天皇から一般国民まで、もう戦争はこりごり、GHQも政府も戦争放棄と言ったが、国民は積極的に平和主義を掲げた。

1946年11月3日、日本国憲法公布。昭和天皇が宣言した。

「朕は国民とともに全力をあげ相携えてこの憲法を正しく運用し、節度と責任を重んじ、自由と平和を愛する文化国家を建設するように努めたいと思う」

主権と人権と平和を謳い、焼け跡から平和主義と国際協調主義を掲げて国を立て直すという、世界の憲法史上画期的な憲法、施行から70年。
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NHKのドキュメンタリーについて:

NHKスペシャル『“平和国家”はこうして生まれた』はこうして生まれた?




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