ずばり教育直語! [国内政治]
かくて教育勅語が教育現場に復活する
「教育勅語を授業で教材として使う」というが、これには二通りの意味があり(歴史か道徳か)、政府は意図的にそれをあいまいにしているとしか思えない。実に卑怯で狡猾である。
1)歴史的な事実として、いつ、どのような目的で作られ、どのような効果があり、その後、どのような運命をたどったかなどを学ぶために使う。
2)徳目としてそこにある教えを説き、習い、学ぶために使う。
「教育勅語を授業で教材として使う」、そしてそのことが今回閣議決定で容認された、と聞いて大半の人が、ほーそうなのか、と思うのは1)である。ところがこの政府が意図しているのはどうやら2)なのである。
そしてそこは曖昧なままにしておきたい。だから、国会で説明を求められても、政府はそれを避けるのだ。だから、稲田朋美防衛相も口を閉ざすのだ。
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松野文科相も「(教育勅語の)どの部分が憲法に反する、反しないに関しての判断を文部科学省でするものではない」と解釈を避ける一方で「教え方がポイントだ。我が国の歴史について理解を深める観点から教材として用いることは問題がない」と説明。1)だから問題ないというのだ。そりゃあ1)なら問題あるまい。そもそも歴史の授業で教育勅語がどんなものだったかは、閣議決定で容認されようがされまいが、学んで問題はないはずだ。
ところが松野大臣は「この教材はだめなどと発言するのは、教員の教材や教え方をつぶすことになる」「道徳を教えるために教育勅語を使ってはいけないと私が申し上げるべきではない」とも言っている。ここが卑怯なのだ。
道徳授業に教育勅語「ダメとは言えない」 松野文科相
朝日新聞 2017.4.4 http://digital.asahi.com/articles/ASK443CM6K44UTIL00F.html
つまり、2)をやるかどうかは、学校や教師次第なのだよと言っているのだ。「教育勅語を使ってはいけないと私が申し上げるべきではない」そりゃそうだろ。戦前の反省から国会決議で排除され失効したものを、文部大臣が、そこにある徳目を学ぶという観点から使って下さい、とは言えまい。辞任するつもりなら別だが。
そうしてもうひとつのごまかしは「核」の部分についてである。
親孝行、夫婦仲良く
菅官房長官は「教育勅語を我が国の教育の唯一の根本となるような指導を行うことは不適切だ」と言う。一方で、親孝行や夫婦仲良くといった徳目は評価すると言う。これまた、狡猾だ。「我が国の教育の唯一の根本となるような指導を行うことは不適切だ」つまり、不適切として否定しているのは「唯一」の部分である。つまり、唯一でなければよろしい。だから、唯一ではないが、我が国の教育の根本の一つとしようということに他ならない。そして評価する部分として政府関係者は必ず「親孝行や夫婦仲良くといった徳目」といった、誰もが賛成することを掲げて安心させる。
一旦緩急あれば
では、一旦緩急あれば国に尽くすという部分はもはや意味を持たないと、はっきりその部分を否定したらどうなんだ?彼らは否定しないはずである。そこが実は彼らが教えたたい部分、復活させたい核の部分だからである。稲田大臣の言う「核」の部分も実はここにあると私はにらんでいる。そうでないというのなら、そこを否定してみたらどうなんだ? そんなの邪推だ、下司の勘ぐりだというのなら、きっぱり否定してみてよ、と言いたい。できないはずだ。彼らの信条の核なのだから。
しかし、親孝行や夫婦仲良くといった徳を学ぶのに、何もよりによって明治天皇の教育勅語、日本国民を洗脳し戦争に駆り立て戦争に動員した教育勅語から徳目を引いて来ることもないではないか。ではなぜ、わざわざ教育勅語を使う。「核」の部分(一旦緩急あればでんでん)を刷り込みたいからだよ。
記者たちから「教育勅語の内容を評価すると、戦前の否定をあいまいにすることになるのではないか」と聞かれ菅長官は「あいまいにしていないじゃないですか。法制上の効力は完全に消滅している」と、声を荒らげたという。これは痛い所を突かれたからの反応だ。「あいまいにしてないじゃないですか」と言って、あいまいにしたのだ。「法制上の効力は完全に消滅している」と言いながら、学校の現場で復活させるつもりなのだから。
教育勅語の核:天皇中心の国家
今回、政府答弁書を引き出した民進党の初鹿明博氏は、「教育勅語の核は(天皇中心の)神話的国体観であり、それに閣僚が賛意を示すことは国際社会に疑念を与えてしまう」と言う。稲田大臣は祖母の代から生長の家の創始者谷口雅春氏に傾倒しているが、谷口氏が一環してめざしていたのが皇国日本。そのために戦後始めた右派の政治運動が日本会議である。その日本会議が突き動かしてる安倍政権だ。教育勅語を学校教育、道徳教育で復活させたい意図がどこにあるかは、明白である。もちろん、親孝行とか夫婦仲良くといったことではない。
かくてまた新たな忖度のもとがばらまかれた
松野文科相、道徳授業に教育勅語なぜダメとは言えない?つまり、使って欲しいのだが、彼の口から使えとは言えないからだよ。つまりそこんとこ忖度してよ、ということ。こうして全国の多くの学校で教育勅語が道徳として復活すると思う。これすなわちきのうもブログで触れた森友学園(あるいは旧森友学園と言ったほうがいいかもしれない)の全国展開だ。
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教育勅語を道徳の時間に教材として使える。文科相があっさり認めた。
教育勅語を #道徳教材 に使ってよし
— 中嶋寛兵衛 (@noraneko_kambei) 2017年4月5日
教員・学校長次第 #松野文科相
さっそく来たな ずばり来たな しばらく松野かと思ったが
かくて #教育勅語 が #道徳教育 に復活 あっさり確定
『ずばり教育直語!』https://t.co/hmk3l0Qwzv pic.twitter.com/J1zGz80yUf
山口組の会則だってええこと書いてあるで。道徳の教材や。と菅野氏。
内閣の答弁書や松野文科相の会見に従えば、教員・学校長の判断次第ということになる。
#山口組 の会則を「教育の唯一の根本とするのは不適切」だが、唯一のものではなくとも重要な教育の根本の一つであるとすることまでは否定できない。「憲法や教育基本法」に反しない形で道徳の授業で教材として使うことは「教員と学校長が一義的に」判断することである。(#松野文科相)(=たぶん) https://t.co/mpy4uk3g2O
— 中嶋寛兵衛 (@noraneko_kambei) 2017年4月5日
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あの教育勅語には、どの宗教の戒律(仏教にもキリスト教にも)にある殺してはいけない、物を盗んではいけないなどは一切書かれていない。肯定する人は、切り貼りしているよね。
by スタークラフト (2018-01-23 20:48)