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東アジア感謝祭 [グローバル化]


北米先住民(=「インディアン」、ネイティヴ・アメリカン)にとって
「感謝祭」は祝いの日ではない。
追悼の日だ。

先住民たちは毎年「感謝祭」の日に
プリマス・ロックに集まる。
虐殺の追悼集会だ。

1637年、ピーコット族の700人余りが植民者たちによって殺された。
男も女も子供も殺された。
村もすっかり焼け落ちた。

今年もみんな感謝祭をやっている。
(海の向こうの日本でも*訳注)

しかし忘れてはならない。
先住民は権利を求めて今なお戦っている。
感謝祭の本当の歴史を忘れるな。

(最後に「北米先住民のことを忘れるべきではないとお思いの方、
この映像を広めて下さい」とある)
ATTN: VIDEOより
↓ ↓ ↓ ↓ ↓


ウィキペディアの記述を参考にすると:

感謝祭は
イギリスからマサチューセッツ州のプリマス植民地に移住したピルグリム・ファーザーズ(巡礼始祖)の最初の収穫を記念する行事であると一般には考えられている。
1620年、ピルグリム・ファーザーズがプリマスに入植。しかしその年の冬の天候はことのほか厳しく、多くの死者が出た。
1621年、近隣に居住するインディアン・ワンパノアグ族からトウモロコシなどの栽培法を教えてもらい生き延びた。秋には、収穫に恵まれ、入植者たちはワンパノアグ族を招待して、神の恵みに感謝して共にご馳走をいただいた。これが感謝祭の始まりであるとされる。
イギリス人の入植者にもワンパノアグ族にも秋の収穫を祝う伝統があり、この年のこの出来事は特に感謝祭とは位置づけられてはいなかった。
1623年、プリマス植民地として初めての感謝祭。それは食事会というより、教会で行なう礼拝であり、神に感謝を捧げる宗教的な意味合いが強かった。

時移り時代は20●●年、ATTN:VIDEOには日本からの映像が届けられているのでした。

タイムマシンを使い20●●年の投稿を下にペーストします:

アメリカはいつしか Asian Thanksgiving(亜細亜感謝祭)を祝うようになりました。しかし、このビデオを観ると、かつて日本と呼ばれた地域の人たちがどんな気持ちでこの日を迎えているかが分かります。その字幕を翻訳すると、こうなります。

「日本人にとって〈感謝祭〉はお祝いをする日ではありません。追悼の日です。日本人の子孫たちは、かつて地上に存在した日本という国がTPP/FTAに加盟したことを思い出すためにこの日集るのです。
2016年には当時のアヘ首相率いる政権が国会で十分な審議も尽くさぬままとても卑怯な強行採決でTPPを承認する法案を可決しました。それをきっかけに日本という国は滅亡の道を歩み、アメリカに乗っ取られてしまったのです。感謝祭の本当の歴史を忘れるな。

この「東亜細亜感謝祭」について、偽キペディアにはこう書いてあります。

「東亜細亜感謝祭は、アメリカが日本と貿易を完全に自由化して経済発展を進めたことを祝って始まった。しかし両国はその後、貿易や経済に留まらず、文化的、制度的な一体化を進め、共同体となっていった。感謝祭は、その結果人々が享受した平和と繁栄に感謝するしきたりとなっていった」

私も、中学か高校でそんな美しい話を習ったのを思い出します。

しかし調べてみると、この日は、日本人の子孫たちにとっては国が滅びたことを追悼する日になっていて、集会やデモが行われているようです。プラカードにはこう書かれています。

「1%の多国籍企業は出て行け!我ら日本人99%に雇用を、年金を、安全な食を、環境を、日本文化を、日本語を、主権を!」
「徴兵制反対、国民監視反対、海苔弁反対!」
「TPP断固反対!ブレない。国を取り戻す。この道しかない!」


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