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死刑の死が視界に [刑事司法]

米タイム誌の最新号が<死刑の死>を予見している。
「最後の死刑執行」〜なぜ死刑の時代は終わりつつあるのか
と表紙にあり、巻頭の記事が「死刑の死」

内容的には、これまでも専門家たちが言ってきたこと、報道で伝えられてきたこと。新味はない。
しかし、タイム誌の表紙に死刑、巻頭の記事に死刑。これは画期的なことである。
アメリカはいよいよ死刑廃止が視野に入って来たということだ。

注目すべきデイヴィッド・ヴォンドリール記者のこの記事を以下に要約する。

タイム表紙「死刑の死」.jpg

今、連邦レベルの死刑囚は60人ほど。しかも、この半世紀に執行されたのはわずか3人。この10数年、刑の執行はない。

州レベルでは3,000人からの死刑囚がいるが、ここでも死刑の執行がなかなか進まないのは同じ。時間もお金もかかり、執行されるのかどうかの見通しもはっきりしない。大多数の死刑囚に刑の執行は訪れない。
これまで死刑制度賛成派だった裁判官や政治家が、いま、反対派に転じている。

先進国が死刑を廃止していくなか、アメリカは取り残された。同じ仲間と言えば、中国やイランだ。

死刑を廃止したのは18州。死刑を残している32州でも実際に執行する州は極めて少ない。

ネブラスカ州では今年5月に保守的な州議会が死刑廃止を決定。州知事が拒否権行使を試みるが失敗。
デラウエア州でも同様の法案が上院を通過。下院の委員会の1票で死刑廃止の動きは一まず止まったものの
 これまで死刑を支持していた知事も賛同に回っている。
ペンシルヴェニア州(死刑囚の数全米5位)は2月に死刑の無期限凍結を打ち出した。
カリフォルニア州は死刑囚の一番多い州だが、停止状態
 (執行がほとんど行なわれず司法手続きの進み具合の鈍い同州の死刑制度を連邦高裁が違憲審査中)。
テキサス州と言えば、連邦最高裁が死刑を凍結したのち復活させた1976年以来死刑執行数が全米一位だが、
 この州でさえ執行の数は減ってきた。2000年に40件だったものが、去年は10件。
 今年はこれまで7件だが死刑判決はゼロ。ここでも裁判官、検察官、陪審員が死刑に反対し始めている。

      1971年 1994年 2014年
 死刑賛成  49%   80%   63%
   反対  40%   16%   33%

死刑囚の数は今3,019人(2015年)2000年あたりがピークだった(1968年には517人)。
反対論は、道徳的というより実利的な議論による。死刑制度の肥大化への反対だ。

死刑の執行、2014年は20年来の最低水準。
死刑判決も72件とアメリカ現代史上の最低を記録。
執行のペースが上がっているのはミズーリ州のみ。それでも死刑判決の数は激減。

32州で死刑を存置。しかし、空洞化。
2014年以来の執行数49。うち47件が5州(テキサス、ミズーリ、フロリダ、オクラホマ、ジョージア)。

かくて死刑廃止が視野に。原因は5つ。

 1.死刑がうまく執行できない
 2.犯罪の減少
 3.失われるこれまでの正当性
 4.逼迫する財政
 5.正当な裁きたりえない

原因1:死刑がうまく執行できない

アリゾナでは2時間がかりでようやく死刑を完結した例。
オクラホマでは40分がかり。死刑囚は結局、心臓発作で死亡。
アメリカでは処刑を犠牲者の家族に公開するが、もがき苦しむ死刑囚の姿を目の当たりにすることになる。
失敗することのある電気椅子・ガス殺・絞首刑に代わるものとして採用されてきた薬殺にも、失敗例はあり、受刑者は苦しむ。薬品会社が死刑用の提供を拒むようにもなった。ユタ州ではそのため去年、銃殺刑が復活。

控訴、抗告、いつまでたっても終わらぬ裁判。1975年に死刑判決を受けた強盗殺人犯39年後ようやく処刑。 さして珍しくもない。今年処刑の14人のうち5人は20〜30年の収監だった。さらに5人は15~19年。
カリフォルニアの死刑囚750人のうち半数は控訴審がまだ始まってすらいない。
弁護士をあてがうための財政的基盤が弱い。

刑を急いでも問題。冤罪。
1975年以降、冤罪および冤罪の疑いで出所した死刑囚は150人あまり。
オハイオ州のウイリー・ブリッジマンは死刑判決後39年ぶりに自由の身となった。
当時12歳だった少年がウソの証言をしたことを認めたため。
目撃証言は科学的に信憑性が疑われるようになってきた。
毛髪や繊維といった証拠の使用にも欠陥があることが分かってきた。
一方でDNA鑑定が裁判の不備を明らかにしている。
去年もノースカロライナで死刑囚2人(判決時10代の若者)を30年ぶりに釈放。
捜査の不備で冤罪となるケースもある。
刑の執行後に冤罪であったことが分かったケースも。

原因2:犯罪の減少

1950年代後半から60年代始めの犯罪率の低い時代は、死刑支持率も最低水準の42%。
1972年にはそれもあって最高裁が死刑を廃止。
 しかし犯罪の急増で各州は慌てて死刑復活へと向かう。
 恣意的な判決や人種差別をなくすという州法を成立させ。
1976年、最高裁が現代的死刑の名の下、死刑制度を復活。
 殺人事件の発生率とともに死刑支持率も急伸していく。
1990年にはニューヨーク市で年2,200件を越える殺人事件が起きていた。
 ギャラップ調査によると当時の死刑支持率は80%。
2015年の今、ニューヨーク市の殺人事件は1990年代始めより年1,900件は少ない。
 死刑賛成も1972年来最低の60%あまり。

ヴァージニア州の元検事総長マーク・アーリー(1989年~2001年に死刑36件)はこの3月に死刑の廃止を訴え、こう書いている。「死刑は間違ったユートピア的な前提に基づくものであるとの結論に至った。間違った前提とは、死刑の判決と執行に過去・現在・未来において100%の正確さが確保されるとすることである」

2007年以降、政治的な圧力が弱まる中、6州が死刑を廃止した。
 今年のネブラスカ州を含めると7州。
 他の州でも死刑廃止に向かう動き。
ニューハンプシャー州の議会は2014年、あと1票で死刑廃止のところまできた。
ワシントン州、オレゴン州、コロラド州の知事らは死刑執行の凍結を示唆。

原因3:失われるこれまでの正当性

そもそも死刑の目的は3つだった。

1.凶悪犯を長期に安定した形で収監し続けるための確実な施設がなく、殺すしかなかったということ。
しかし、その事情は変わった。今では、職員の質も改善し、科学技術も進歩し、「仮釈放なしの終身刑」が比較的安全に行なえるようになった。世論も大半が終身、独房で生活することがいかに辛いことかを理解するようになった。一部には死刑以上に辛いという議論もある。死刑に抑止力があるとすれば、同じだけの抑止力が「仮出所なしの終身刑」にもありそうである。

2つ目は白人の優位性を徹底させる道具ということ。南北戦争以前の白人たちは黒人の反乱を恐れ、死刑で黒人の抵抗を抑えようとしていた。ヴァージニアの法律では黒人奴隷は薬で刑を執行することになっていた。薬というか毒だ。ジョージアの法律では、奴隷が白人である主人をあざが出来るほどなぐったら死刑であった。

1608年から1972年までのアメリカにおける死刑15,000件の記録を残したワット・エスピーによると、白人が死刑となることはまずありえず、殺人を犯した者も犠牲者が黒人ならまず死刑にはならない。現代の死刑においてもこのような偏りの残滓を認める研究があるが、かつてあったような人種差別的な扱いは、今日であれば確実に憲法違反である。今、偏りがあるとすれば、それは人種というより階層によるもの。

3つ目が正義である。死刑を存在させることによって社会が言わんとしているのは、人間社会には越えてはならない一線があるという原則である。一部の犯罪はあまりにもひどいものであり、死刑を以てしか贖い得ない、とする原則である。「人を殺してはならないということを徹底させるために人を殺す」というのが死刑というわけであるが、死刑廃止に向かう動きが今見られるのは、そのような道義的な議論というより、財政負担が大きすぎる、効果がなさすぎる、という実利的な議論が出発点である。

かくて原因の4:逼迫する財政

アメリカの死刑制度は予算を削られ、あえいでいる。社会の高齢化。医療費がかさむ。年金の支払いも増える。そういった中、遅々として進まない効率の悪い死刑制度である。裁判は何段階もあり、多くの人が関わる。「仮釈放なき終身刑」より遥かに高くつくのである。6倍(記者が調べたフロリダ州の場合)から8倍(連邦のある委員会調べ)。ノースカロライナは死刑廃止で年1,100万ドルの節約になる、という研究もある。様々の州で同様の調査結果。

犯罪率が低下、刑務所の保安状況が改善する中、州の議員達はこのような節約論を注目するようになっていく。

死刑執行数全米一位のテキサス州ですらそうだ。テキサス州リバティー郡のスティーヴン・テイラー検事は去年こう言った。「お金をどこに使うかという非常に責任ある選択が迫られる」と。テキサスにしてこれだ、まれにしか死刑を執行しない大多数の州の知事や議員や検事がどんなことを考えているかは見当がつく。

今後ネブラスカ州の例にならって死刑を廃止する州が増えるにつれ、連邦最高裁もやがては死刑廃止に踏み出すこととなろう。

原因5:正当な裁き。

故ハリー・ブラックマン(のら猫注:ニクソンに任命されながら最後は非常にリベラル色が強くなった最高裁判事1970-94)は、「死の機構をもてあそぶ」ものとして死刑制度そのものを最後には否定した。他にも退任後、死刑に反対の立場に転じる裁判官が出てきている。たとえば、ルイス・パウエルとジョン・ポール・スティーヴンス。アメリカの現代の死刑制度を築いた3人のうちの2人である。

旧死刑制度を廃止した主たる理由は、死刑判決を下す確たる基準がなかったことであった。「落雷が命中するかどうかと同じ」(ポッター・スチュアート判事)。そしてその状況は今も変わらない。

1972年に最高裁は死刑を「恣意的で気まぐれ」として廃止したが、
 当時アメリカの死刑囚は600人。それまでの10年で刑の執行は100件たらず。
2015年、カリフォルニアの数字はもっと悪い。
 死刑囚は750人、これまでの10年で刑の執行はわずか3件。

カリフォルニアの連邦判事コーマック・カーニー(共和党寄りの保守派のはず)は、カリフォルニアの死刑執行が、余りにも恣意的で、違憲だとした。せっかく時間と人と金をかけて慎重に下された判決も、執行は長らく遅滞し、執行の見込みはない。司法の機能不全だというのである。死刑判決が事実上「死刑執行の可能性のほとんどない終身刑」になっており、残酷な刑罰を禁じる憲法修正条項第8条に違反するというのである。

これをもって死刑制度が終焉を迎えつつあるひとつの兆しととらえることができる。
他にもカーニー判事に続く裁判官が現われつつある。全米一死刑の多いテキサスのこれまた保守派のトム・プライス判事(州控訴裁判所)もその1人。彼はこう言い切っている「これまで40年、テキサスの裁判官をつとめ…死刑の最高刑としての適切性を深く検討してきたが、今では死刑は廃止すべきと思うに至った」。

このような判事・議員・知事らの動きを連邦最高裁は「進化的品位基準」の現れととらえるかもしれない。1958年に連邦最高裁が未成年者の処刑・精神遅滞者の処刑・被害者を殺さなかった強姦犯の処刑を禁じたときに拠り所としたのも社会の「進化的品位基準」であった。判事たちはみな死刑制度が失敗していることを知っている。最高裁の判事9人のうちの5人以上が、機能不全に陥った死刑制度は廃止すべきという結論にやがて至るときも、このような「進化的品位基準」の現れを拠り所にすることとなろう。

事実は疑うべくもなく、論理は明確だ。破綻した制度を長年修復しようとしてきたが、やがて裁判所がタオルを投げ入れるときが確実にやって来る。


 西武雄さん遺品展

7月1日(水)〜4日(土)13:00-19:00
東京四谷イグナチオ教会 岐部ホール309号室
(福岡事件の冤罪被害者、西武雄さんの遺品展です)

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noraneko-kambei

「進化的品位基準」(evolving standards of decency)を「発展」ではないかとフェイスブックで指摘がありました。そこでこう答えました:
必ずしも「発展」ではないのではないかと思います。移り変わるということ、「進展」ではないかと思っています。移り行く世の中のそのときどきの人々の考え方や感性にしたがって、それを基準にして判断する、ということかと。「発展的」と訳してあるのもあるのですが何か、訳し過ぎの感じもします。少なくともこの言葉(evolve)だけからすると、発展することを想定した用語とは思われない。(もっとも、この用語の基となる法学的な理論があるのかも知れませんが、そこは不勉強で不案内。そこまで踏まえれば、「発展」と訳すべきか「進展」と訳すべきかもっとはっきりするでしょう)。
by noraneko-kambei (2015-06-29 07:56) 

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