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沈黙という名の共犯関係(1) [中東]

ラジ・スラーニ 東大講演 2014 10 11

2014年ガザ侵攻の背景 オスロ合意の行き着いた先

まず、重要な所から話します。7月7日に始まった犯罪的侵攻について話す前に、その背景です。背景をおさえておかないと、今回起きたことをきちんととらえることも非常に難しいからです。

まず20年前のオスロ合意です。私が、悪い合意、良くない合意と思うものですが、いつしか忘れ去られているうちに20年経ちました。この合意は、5年後、すなわち1999年5月4日までにはパレスチナ国家という形で結実しているはずでした。

しかし20年後、何が起きているかというと、(パレスチナの)ガザ地区は社会的・経済的な窒息状態。それは犯罪的で、違法で、非人道的な封鎖によるものです。これは、集団懲罰に当たります。ガザ地区の200万人近くに対してです。そしてそれがもう7年続いているのです。そしてイスラエルがしているこの犯罪を、アメリカが、ヨーロッパが、国連が後押ししているのであります。

(パレスチナの)西岸地区ではどうなったかというと、新種のアパルトヘイト(人種隔離)の状況です。(ユダヤ人の)入植地が縦に伸び、横に伸び、新しい入植地が毎日作られていきます。バイパス道路が作られ、入植地同士をつなぎ、入植地とイスラエルをつないでいきます。(パレスチナ人の)土地の没収が毎日行われ、(パレスチナ人の)大量の逮捕者が出ます。そして(起訴手続きを経ない)行政勾留が行われています。選挙で選ばれたパレスチナの立法評議会の議員(国会議員に相当)ですら勾留され、その議長も勾留され、一時はその47人までもが刑務所に入れられていました。西岸地区の全ての町、村、そしてキャンプで、イスラエルによる侵蝕、侵入が行われ、逮捕が行われ、殺戮が行われるのです。エルサレムでは激しい民族浄化が進んでいます。ユダヤ化が進行しているのです。世界の気付かぬ間にです。そしてここには沈黙という共犯関係があります。世界は、ガザで起きていること、西岸地区で起きていること、エルサレムで起きていることに関し、沈黙しているのです。

知らなかったとは言わせないぞ

私たちは人権団体として、誰も知らなかったでは済まされないようにする活動をしています。何も知らなかった、誰も教えてくれなかった、とは言わせないぞ、ということです。私たちは事実を法的文書に記録しています。それらを公表しています。報告しています。私たちは、パレスチナの正義を求める友人たちと一緒になって、世界に、知らなかったとは言わせないぞ、という活動をしているのです。世界に知ってもらう活動です。オスロ合意から20年の流れが見過ごされ、パレスチナとパレスチナ人に対する犯罪、戦争犯罪が行われているのです。

イスラエルはローマ教皇に、イスラエルとユダヤ人に対して謝罪するよう求めました。それは、ローマ教皇が、第二次世界大戦中、(ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺)ホロコーストのことを知っていたからです。そして、何もしなかったからです。知っていながら、何もしなかったのです。では、パレスチナのことはどうなのでしょう?知らなかったで済まされるのでしょうか? 特にアメリカ、西欧、日本です。知っているはずです。しかし、私たちは、謝罪は求めません。私たちが求めるのは行動です。正義(正しい裁き)です。


犠牲者としての権利が認められないパレスチナ人

二つ目に背景として焦点を当てたいのは、パレスチナ人は本当に平和を求めているのか?と言われることです。パレスチナ人は平和に本当に興味があるのか?平和のメッセージを送ろうとしているのか?と。ひとつはっきり申し上げられことはこうです。いちばん平和を夢見、平和を求めるのは、抑圧された人々です。私たちパレスチナ人は激しい抑圧を受けてきました。ナクバ(ユダヤ人からアラブ人が土地を奪われた1948年の「大災難」)以来、今日まで、ずっと苦しみ抜いてきました。

すべてのパレスチナ人が――これはもうガザ地区と西岸地区、あるいはイスラエルだけでなく、シリアでも、レバノンでもそうですが、なぜか、私たちは「テロリスト」と呼ばれるのです。私たちには、犠牲者たる権利もないのです!私たちには、犠牲者たる権利も拒まれているのです。地上の唯一の犠牲者は、イスラエルであり、ユダヤ人なのです。彼らには、犠牲者たる権利が認められるのです!

私たちパレスチナ人には犠牲者たる権利が認められません!これは恥です!

流されるすべての人の血は、聖なるものです!すべての人の苦しみは、聖なるものです!ですから、パレスチナ人の苦しみも、尊厳も、聖なるものであるはずです!

善きパレスチナ人もいれば、今は亡きパレスチナ人もいます。アラファトはテロリストと言われ、ハマスはテロリストと言われ、ファタハもテロリスト、PFLPも、DFLPもテロリスト。女も、子供も、老人も、テロリストと言われます。過去の人も、今の人も。ガザ地区でも、西岸地区でも。私たちはそのようなレッテルを貼られ、そのように扱われます。それが、私たちの運命なのです。

いつまでも続く犯罪的な占領 ガザの封鎖

しかし、世界は実は私たちパレスチナ人を認め、力を与えているのです。国際法で「自決権」呼ばれるものが、私たちにはすでにあるのです。それは、こちらからお願いして、許可をもらって、占領当局から与えられるものではありません。長期にわたるこの占領、長期にわたるこの好戦的な占領、長期にわたる犯罪的なこの占領。それは戦争犯罪であり、人道に反する犯罪です。

それは私ラジ・スラーニや私のPCHR(パレスチナ人権センター)だけが言っていることではありません。すべての国際人権団体、すべての国連人権機関が言っていることです。すべての調査団が言っていること。最初からずっとそうです。前回の国連人権理事会の報告書に至るまで。ゴールドストーン調査団の報告書でもそうでした。

イスラエルはガザ地区を占領しているのか?していないのか?はっきりしません。誰がガザを支配しているのか?さっぱりわかりません。イスラエルはガザを爆撃し、暗殺を行い、イスラエルは占領ではないと言います。イスラエルはガザを封鎖している。そして、占領していていないと言います。撤退もあった。しかし、実質的な支配、コントロールは続いているのです。イスラエルは非常に混乱しています。自分たちでも何がほしいのか、どうしたいのか、よく分かっていないのです。

しかし、ひとつ、完全に彼らの意見が一致していることがあります。それは私たちの土地と生活をいかにして奪うかということです。それに関しては全面的な合意がイスラエルの中でできているのです。

市民と民間施設を標的 すさまじい殺戮と破壊

今回の犯罪的侵攻を一言で言うとしたら、市民が標的だったということです。市民が、嵐の真っ只中だったのです。要するにこの戦争は、ガザ地区の市民と民間施設を標的として行われました。そして、それは意図的、意識的でした。自分たちが何をしているか、十分承知の上でやったことです。

ガザ内部にもイスラエル軍の協力者、通報者が潜んでいました。これは、どんな戦争でも起きることです。そして無人機が少なくとも50機、1日中24時間態勢でガザ上空を飛んでいました。つまり7平方キロ当たり1機ということです。安全保障上の連携も、一部の近隣諸国やアメリカ、ヨーロッパと行われました。彼らはガザでどのようなことが起きているのか、いろいろな方法を使って、ちゃんと分かっていました。

今回の攻撃が始まってわずか3日目、4日目に、イスラエルの国防相と軍の参謀長が公言したのです。ハマスの指導者たちがこの戦争のあと塹壕から出て来たら、この戦争がいかに犠牲の大きいものだったか、いかに大きな代価を支払わされたかを、思い知るだろう、と。破壊と殺戮のものすごさに衝撃を受けるだろう、と。

74家族が一家全滅となりました。一部は私の友人・土井さんの映像に収められています。ナジャール一家、アブカワラ一家、ハマット一家、などなど、多くの家族です。一家29人が皆殺し、一家27人が全員死亡、23人、22人、19人、17人、14人、12人と、爆弾で一家全滅なのです。これはイスラエルが公言している政策です。テロ組織やテロの指導者と関係している疑いのある家族は、すべて殺すというのです。全部で74の家族が、抹殺されました。

イスラエル軍は、工場もおよそ450カ所で爆撃しました。ミルク工場やビスケット工場など、完全に、純粋に、民間の工場、民生部門の工場です。その他の(軍事的な)ものとは一切関係ありません。私たちは徹底的に調べました。しかし、それらが完全に破壊されたのです。

そして、パレスチナの電力が何だと言うのでしょう?ガザに1つしかなかった発電所が爆撃されました。貯水所のどこが問題だというのでしょう?貯水所も破壊されました。国連の難民救済事業機関(UNRWA)の運営している難民のための学校は、今回の戦争の避難民が身を寄せていました。今回の戦争だけで、54万人の避難民が発生したのです。その多くが、避難所で夜寝ているときに爆撃を受け、亡くなりました。女性も子供も殺されました。UNRWAの学校ではGPSを使ってイスラエル軍に学校の正確な位置を知らせていたにもかかわらず攻撃されたのです。農地もすっかり破壊されました。

イスラエルはレバノン戦争で「ダヒヤ・ドクトリン」なるものを採用しました(訳注:一地域の全域を破壊し尽くす政策)。それを言うなら、ガザでは今回、ベイトハヌーン・ドクトリン、シュジャイーヤ・ドクトリン、ホザー・ドクトリン、ラファー・ドクトリンなどが使われたと言わなくてはなりません。多くの場所で一帯がもろともに破壊しつくされたのです!何千棟という建物が、どこかを選んで標的にするというのではなく、すべて破壊され、全域がまっさらになってしまうのです。

イスラエルは、ガザ地区の44%で住民に避難するよう呼びかけるパンフレットをばらまきました!いいですか44%ですよ!しかし、ガザ地区は世界で最も人口密度の高い場所の1つです!200万人が365平方キロに住んでいます!その44%の場所に、避難するように警告したのですよ!しかしガザ地区にはもう安全な場所はないのです。その時ガザに来ていた土井さんも、私自身も、妻も、子供も、もはや安全ではありませんでした。誰も自分が安全とは思いませんでした。あとはもう運です。ガザの44%に避難するようイスラエル軍から警告があったのです。そして全域に爆撃があり、シュジャイーヤのような所では、全域が壊滅状態です。

私はナクバを見た

私は60歳です。私自身、ナクバは経験していません。しかし朝の7時半、それまで4時間の爆撃を受け続けていた15万人が避難して来るのをこの目で見ました。着の身着のまま、手には何も持たず。人々が手に抱えているのは、せいぜい子供でした。

アル・ワファー病院は、ガザ地区で高齢者や重度の障碍者に専門的な治療を提供できる唯一の病院でした。家族の介護ではどうにもならない人たちにとっては、ここしか頼る所がなかったわけです。その病院が標的となりました。そして完全に破壊されました。国際監視団の人たちがちょうど病院にいましたが、逃げるようにと強く言われ、すんでの所で難を逃れました。ナジャール病院など他の病院も爆撃にあいました。救急車も何台も攻撃を受け、乗っていた看護師も患者・負傷者も多数亡くなっています。

被害の話をすると切りがないのですが、肉体的・物理的な被害の他に、恐怖とか不安といった、目に見えないものもあります。

200万人の1人として身の安全を感じられませんでした。ガザ地区のどこにも、もはや安全な場所はありませんでした。戦争では必ず確保される安全な通り道というものもまったくありませんでした。これほどまでの衝撃、恐怖、不安。それをイスラエルは人々の心に植え付けようとしたのです。なぜそんなことをしたのでしょう?

それは私に恥かしい思いをさせるものでもありました。私は、妻や、娘や、母を守ることもできず、まったく無力だったからです。私には何もできなかったのです。なぜ人を標的にするのか?! 私たちは人権団体であり、戦闘員とは何の関係もありません!抵抗運動側であれ、占領軍の側であれ、一切何の関係もありません!そして彼らには彼らの交戦規則というものがあります。それは私たちの関心のある分野ではありません! しかし、市民と民間施設を51日間の戦争で標的にし続けたのです!恥を知れ!イスラエル軍と言えば、世界で6番目に強大な軍隊です!核兵器すら持っています。この国が中東の民主主義の鏡ですか!? 法の支配と民主主義と人権の国ですか?! いいえ、これは恥の国です。

責任を問われないイスラエル

占領がここまで長引くと、そして、ここまで醜くなると、それは砂の上に立っているのと同じです。少しでも動くと、ずぶずぶと沈んで行きます。どんどん沈んで行きます。イスラエルで問題なのは、もはや感じなくなったことです。自分たちが戦争犯罪を犯し、人道に反する罪を犯していることを感じないのです。それはなぜか? それは、アメリカやヨーロッパが、全面的に法的・政治的免罪符をイスラエルに与えているからです。イスラエルは大丈夫だと思っているのです。責任を問われないということが分かっているのです。 

私たちの側には確固としたスローガンがあります。彼らはそのことを知っておくべきでしょう。それは「私たちは決して忘れない」ということです。私たちは決して忘れない。それは犠牲者だけができることです。私たちは彼らのことを記録に留め、彼らを追い続けます。そして、いつの日か、彼らは犯罪の責任を問われるのです。法廷の場で。

ですから彼らは死ぬほど恐れているのです。法律、国際法、国際人道法といった言葉を。ですから彼らは私たちが「法律による戦争をしている」と言うのです。ですから私たち人権活動家のことをテロ組織の「工作員」と呼ぶのです。

今回の戦争では、未来を非常に楽観できるいくつかの理由が見えてきました。まず、パレスチナ人に、これまで以上にはっきりしてきたということです。つまり、我々には善き犠牲者たる権利がないということであり、しかし自決権という権利であるということ、そして自由を求める人々にとって抵抗が権利であり、義務であるということです。それが、これまで以上にはっきりしたのです。

みんなが認識し、理解しなくてはならないのは、私たちの大きな、深刻な問題、それは、イスラエルによる犯罪的、好戦的な占領だということです。地上で最も長期にわたるこの占領は、終わらなくてはならないのです。

(拍手)

一国家解決案か二国家解決案か

イスラエルは自分たちが何を望むかを決断しなくてはなりません。一国家案なのか、それとも二国家案なのか。イスラエルは、パレスチナ人の犠牲と苦しみをもうこれ以上続けることはできません。どちらかを選ばなくてはなりません。

PLOが設立されたとき、そのスローガンは「一国家」でした。一つの民主的な世俗的な国家です。その中にイスラム教徒も、ユダヤ教徒も、キリスト教徒も、という構想でした。スウェーデンの(首相だった)オロフ・パルメは(オーストリア首相)ブルーノ・クライスキーと共にアラファト議長に対し二国家案を提案しました。欧米がイスラエルもそれを求めているものと理解していたからですが、パルメは暗殺されました。そしてオスロ合意に調印した(イスラエルの首相)ラビンが暗殺されます。ラビンを暗殺したのは(ユダヤ人であり)パレスチナ人ではありません。

イスラエルは今、一国家解決策か二国家解決策か、いずれかを選ばなくてはなりません。私たちはパレスチナ人として、一国家案に、何の異存もありません。イスラエルが純粋なユダヤ人国家がほしいというのなら、私たちはそれも問題ありません。しかし、それで私たちの国家を否定はできません。私たちにも私たちの国家を認めなくてはなりません。しかし、イスラエルがその両方をというわけにはいかないのです。

私たちは法の支配と民主主義と人権がパレスチナとイスラエルの紛争において実現されることを望みます。これに関して私たちに妥協はありません。私たちの要求は単純です。法の支配と民主主義と人権です。そして私たちがICC国際刑事裁判所に加盟しないようにという圧力を欧米からかからないようにしてほしいということです。

今回の戦争で私たちは2,246人の命を失いました。うち546人が子供、322人が女性です。私たちはまた12,000棟あまりの建物を完全に破壊されました。さらにおよそ30,000棟が半壊ないし部分的損傷を負いました。私たちは多くの病院、工場、学校、農場を失いました。私たちのパレスチナ人権センターのホームページをご覧になれば、詳しく知ることができます。

尊厳と誇り 法の支配 世界の後押し

しかし、私たちが失わなかったことが一つあります。尊厳と誇りです。私たちは彼らが強大であり、やろうと思えばもっと大きな被害を私たちに与えることができることを知っています。しかし、私たちは決して尊厳は失いません。抵抗する権利は失いません。私たちは善き犠牲者にはなりません。私たちはこの紛争に、法の支配を求めます。ジャングルの掟、強者のやりたい放題ではなくて。

オスロ合意の調印以来、欧米は言ってきました。平和と安全のために、法の支配と民主主義と人権はいったん脇において妥協しなさい、と。どの外相もどの有力な人物もどの代表も言ってきました。民主主義、人権、法の支配が重要なのはもちろんよく分かる、しかし、この紛争では、ここで目をつぶり、あそこで目をつぶり、妥協が必要なんだと。

こういうやり方で20年後行き着いたのが、ジャングルの掟、そしてガザ地区の経済的・社会的窒息状態だったのです。そして封鎖されたガザ地区はさながら動物農場となってしまいました。世界が食糧や医薬品をふんだんに恵んでくれます。西岸地区では新種のアパルトヘイト。エルサレムでは民族浄化の状況です。この政策は終えなくてはなりません。私たちはこれ以上それを許すことができません。

しかし私たちはくじけません。私たちにはそれを跳ね返す底力があります。これまでもずっと渓谷に荒れ狂う嵐でありましたが、その力は永久に失いません。誰も私たちを私たちの土地から、祖国から、根こそぎにすることはできないのです。

私たちはまったく楽観的です。それは私たちが歴史の正しい側、政治の正しい側、そして正義の側に立っていることを知っているからです。ですから明日は、未来は、私たちのものです。占領は過去のものです。

私たちが強靭なのは、たんに正しい戦いを戦っているからではありません。それは、世界の自由を求める真摯な人々が、私たちに連帯を表明しているのを目の当たりにしているからです。ニューヨークで、東京で、ストックホルムで、南アフリカで、ロンドンで、パリで、人々がデモをしています。これが第4の次元のさらなる力となり、人々を、私たちの戦いを、正義を、さらに後押ししてくれるのです。

(東大初日10月11日の講演 表題と見出しは訳者が付けたもの) (質疑応答につづく)


通訳をした者として:

● 通訳をしていると時々こういう目に遭うので気をつけなくてはならないのですが、東大の初日は非常に悔しい思いをしました。演壇では大スピーカーの大おんじょう。音がわんわん響きすぎて、講師との間には距離があって直接私に声は届かず、非常に聞き取りずらかったのです。客席ではちゃんと聞こえている音が、壇上ではよく聞こえていなかったのです。聴衆からは、不正確であちこち手を抜いたいい加減な通訳と思われたことでしょうが、そのような事情があったことをここで言い訳しておきます。。

● 講演の前に映画の上映があり、音量は高めにすでに設定されていた。そこへラジ・スラーニが時折、高揚し、声を張り上げ、音声が割れて、いよいよ大変なことになっていきました。彼の言葉で「地獄の門が開く」というくだりがありましたが、通訳者にとってはこの日は、最初から地獄の門が開いていたかのようでした。。

● 東大2日目は前日の反省から音量を絞ってもらいました。通訳者の位置も講師の隣です。これで前日とはうって変わり、さながら天国と地獄の差でした。

● 京大と広大ではさらに音の環境が良くなり、通訳はほぼ完璧(a biiiiiig ’ほぼ’ ?)にできました。それでも京大では入植者のことを監視塔と訳してしまったり、広大では発電所とうべき所を警察署と言ったりしてしまいました。。

 彼が settlerと言うとき、それは3音節なのです。最後の r(アール)は巻き舌で、弱いと l (エル)にも聞こえます。あそこは一瞬 citadel ときこえてしまったのです。砦? なんじゃこりゃ? それが120万も?!「監視塔か」とわざわざ聞いたら、そうだと言うので、その通り言ってしまった。あとで、 settlersだと気付いたが、あとの祭。。

 percentも彼は第一音節にアクセントを置くので、personと聞こえてしまいます。。東大初日では44%を44人と訳してしまった。。

 録音を基に「東大講演」を翻訳したものです。壇上と違い、鮮明な音声でした。。彼の英語は手強く、よほど聞き耳を立てておかないと聞き取れなかったりします。。唯一救いは、ゆっくり話してくれることでした。。


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ラジ・スラーニ 各会場の講演と質疑:

 

1011日 東京大学

 ⇒ 講演「沈黙という名の共犯関係」

 ⇒ 質疑応答

1012日 東京大学

 ⇒ 土井敏邦監督の記録映画について

 ⇒ 臼杵陽教授との対談

1013日 京都大学

 ⇒ 講演「かくも重き罪 裁かれぬ理不尽」

 ⇒ 質疑応答

 ⇒ 京大講演 IWJ 動画 「ガザに生きる尊厳と平等を求めて」

1015日 広島大学

 ⇒ 講演  「戦争犯罪の責任を問う」

 ⇒ 質疑応答

1017日 東京四谷講演  弁護士集会

 ⇒ 講演「ガザの封鎖を解いて下さい」

 ⇒ 質疑応答

 

神戸空港の音響は劣悪.jpg

https://twitter.com/levinassien/status/608410571017474048

 


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