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かくも重き罪 裁かれぬ理不尽(1) [中東]

ラジ・スラーニ講演 京都大学 2014年10月13日 

講演

ガザは面積365平方キロで、200万人近い人が住んでいます。
地上で最も人口密度の高い場所の一つです。
熟練度の高い労働力があり、
大学卒業率も世界最高水準、
そして非常に強力な経済界があります。

7年前、パレスチナを占領するイスラエルによってガザの封鎖が始まりました。
この犯罪的で違法で非人道的な封鎖によって、一種の集団懲罰が課されました。
ガザは麻痺し、占領がもたらす最大級の人工的な災難がふりかかりました。

この封鎖のおかげでガザ地区ではおよそ
60%が失業者で収入もなく、
90%が貧困線以下の生活であり、
85%の住民がUNRWA(国連難民救済事業機関)やWFP(世界食糧計画)の
配給に依存する生活となっています。
ガザは慈善、施しの場と化し、さながら動物農場です。

国際社会が食糧、医薬品を盛んに恵んでくれます。というのも
ガザは人の出入りが遮断され、外の世界から完全に隔絶されたからです。
西岸地区やエルサレムとも分断されました。

そればかりか、わずか6年の間に戦争が3回もありました。
2008年から09年にかけて、2012年、そして今回2014年の犯罪的侵攻です。

その真っ只中にいたのは、戦闘員でもなく、ハマスでも、ファタハでも、PFLPでもなく。市民でした。そして民間施設も標的となりました。

今回の攻撃は特別でした。先例のない、パレスチナとイスラエルの紛争の歴史でも、類を見ないものでした。今回のイスラエルによる攻撃はアメリカとヨーロッパの全面的なお墨付きを得て行われたものでもありました。そして一部アラブ諸国ですら沈黙という共犯関係にありました。51日の戦争で起きたことに沈黙したのです。

初めてのことですが、イスラエルの甚だしい戦争犯罪は、全世界に実況で伝えられ、全世界がそれを目の当たりにすることができました。そして、「勿論、イスラエルにはそういうことをする権利がある」と言ったのです。アメリカ、ドイツ、フランス、スペイン、イギリスは、イスラエルのしていることに公然とお墨付きを与えました。

世界で最も人口密度の高い場所のひとつに、アパッチ・ヘリコプターで、F16型戦闘機で、無人機で、大砲で、戦車で、軍艦で、1トン爆弾、2トン爆弾、ロケット弾で、ミサイルで、1日中、すさまじい爆撃、空爆を続け、人を殺し、負傷させ、すさまじい破壊を行ったのです。ガザのどこにももはや安全と言える場所はなくなってしまいました。

ガザ200万人の誰1人として、自分も、家族も、ちょうどそのときガザに来ていた土井敏邦さんも、翌朝、生きているかどうか分からない、という状態でした。自分も、母や父、娘や息子、あるいは近所の人たちも、翌朝生きているだろうか、自信はなかった。生きていたら、それは運でしかありませんでした。ガザのどこにももはや安全と言える場所はありませんでした。イスラエルの私たちに伝えようとしたことは、彼らに刃向かうな、抵抗するなということ、衝撃を与え、恐怖を植え付け、死と破壊のメッセージを届けるということでした。

75世帯が一家全滅となりました。家は全壊、一家皆殺しです。アボカレラ家、ナジャール家、バディシ家、ヘロ家、などなど、一家29人が全滅、27人全員死亡、22人、17人、14人、12人と、一家全滅です。もう誰もいません。家族全員が戸籍からそっくり消滅したのです。それは白昼堂々実行された意図的な政策でした。イスラエル政府、イスラエル軍が公言している政策です。とにかくこれが我々の方針だ、我々のやり方だと、明言しているのです。一家全滅です。爆撃、砲撃で、3階建て、4階建て、5階建て、7階建ての建物が、瓦礫の山と化します。

そしてガザで地域がまっさらになりました。全滅作戦です。これはレバノン戦争のときイスラエル軍が採用したもので、ダヒヤという地区に対して行われ、ダヒヤ・ドクトリンと呼ばれます。しかし、今回そのやり方が、ガザのあちこちで使われました。シュジャイーヤ、ベイトハヌーン、フザー、ラファ、ファラヒーン…。一つの地区をすっかり破壊し尽くすというやり方です。これまでに類を見ない爆撃です。何百棟、何千棟という建物が、そうやって徹底的に破壊されました。

そのため、多くの人が、避難を余儀なくされました。住んでいる場所から逃げるのです。たとえばシュジャイーヤです。これまで少なくとも7世紀にわたり、農家が、誇りを以て住み着いてきた、ガザの最も古い区画のひとつです。農民たちは、尊厳を身につけ、命、生活を大切にしながら暮らして来ました。そこへ激しい攻撃です。朝の2時半からです。私は7時半にシュジャイーヤの入り口にいましたが、15万人のパレスチナ人が家を捨て逃げまどうのを見ました。着の身着のまま。物を運ち出す余裕などありません。手に抱えることができたのは、子供だけです。あるいは高齢者、負傷者だけです。

アル・ワファ病院はガザ唯一と言っていい高度の医療を提供できる場所です。高齢者や障碍者にとっては欠かせない施設です。ガザで唯一、理学療法であるとか、高齢者や重病の人たち、家族の介護ではどうにもならない人たちの治療ができる病院です。その病院が完全に破壊されました。

そしてこれはもう運でしかありません。7人いたアメリカ人とフランス人の監視員はぎりぎりの所で逃げるよう言われ、命拾いをしました。シェファ病院も、ナジャール病院も攻撃を受けました。手術中の手術室にも攻撃がありました。医師、看護師、患者が殺されました。情け容赦ありません。救急車も攻撃を受け、病人・負傷者も、看護師も殺されました。ジャーナリストも殺されました。車にも体にも「TV」とはっきりと表示していても、攻撃を受けたのです。

イスラエルはUNRWA(国連難民救済事業機関)の学校も攻撃しました。多くの避難民が身を寄せている学校です。51日間の戦争で、54万人の避難民が発生しました。国連の学校からイスラエル軍にGPSで正確な位置を知らせていたにもかかわらずです。UNの学校では避難して来た市民を預かっている、ここは国連の管轄だと伝えていたのに学校が攻撃されました。7回ありました。何十人という女性、子供、高齢者が殺されました。その多くが夜寝ているときに攻撃を受け、殺されたものです。

ガザ地区唯一の発電所が攻撃を受けました。2カ所の下水処理施設が破壊されました。その結果、下水は道路に溢れ出し、あるいは、海に垂れ流して、汚染が広がっています。飲み水も攻撃の対象です。水道施設、貯水施設、給水車。いずれも破壊されました。

ニューヨークのツイン・タワーとまでは行かなくても、ガザにも高層住宅があります。それも破壊されました。いちばん高いもので14階建ての高層ビルです。少なくとも100から120のアパートになっているのですが、それぞれ2世帯は住んでいました。ガザ内で大きな人の移動があってそうなっているのですが、そこが爆撃を受け、一瞬にして、高さ数メートルの瓦礫の山と化します。こうしてガザの「ツイン・タワー」も3つ破壊されました。

およそ450カ所の工場も、民生部門ですが、爆撃を受けました。酪農製品の加工工場、ミルク工場、あるいは建材の工場などで、軍事とは一切関係ないものですが、破壊されました。もうガザには工場と呼べるものがないに等しい状況です。何も作れない、壊滅状態です。

結局、2,246人が亡くなりました。うち543人が子供、320人が女性。死者の81パーセントが市民でした。まったくの市民でした。完全に市民を意図的に標的としているのです。ここに、多くの罪、犯罪、戦争犯罪があります。恥です。中東の民主主義の鏡などと言われるイスラエルの恥です。そして、イスラエルの責任を問わないという法的・政治的免罪を与えた人々の恥。侵略と占領と犯罪に協力し、支持を与えた人々の恥です。それは、ジャングルの掟のもたらした結末です。イスラエルが市民を標的とし、パレスチナ人を標的とするという恥です。それが今回のガザ侵攻だったのです。

イスラエルが侵攻に踏み切った表向きの理由はこうです。3人の若いイスラエルの入植者が拉致され殺害された、ということです。グーシュ・エツィオンというイスラエルの大きな入植地で、戦争犯罪に当たる場所ですが、そこでその事件が起きて数時間後、西岸地区で大がかりな一斉手入れが始まります。ヘブロンのエムシャリル地区を包囲し、一斉手入れです。家から家への捜索、パレスチナ人を殴ったりもしました。そして大量の逮捕です。2,000人近くを逮捕。シャリートというイスラエル軍の兵士との交換で釈放されていたパレスチナ人全員を再び逮捕しました。選挙で選ばれたパレスチナ立法評議会員(国家議員)もハマスやイスラム聖戦に属する人々は全員が逮捕されました。

その間、パレスチナ人13人が西岸地区で殺されました。うち9人が子供です。1人の子供などは、入植者によって口にガソリンを無理矢理注ぎ込まれ、火を付けられ、焼き殺されたのです。

3週間、西岸地区で占領軍が恐るべき行為を行ったあとイスラエルは、なんだ、そうか、事件を起こしたのは西岸地区のハマス系の連中だけではなかったのだ。ガザのハマスの責任だったのだ、と言い始めます。そして今度は、ガザのハマスの責任を問う、ハマスを標的にする、としてガザへの攻撃を始めたのです。

ハマスの指導部を標的にする、と言っておきながら、3、4日経つと、おや、抵抗するんだな、ロケット弾を撃つんだな、と言って、今度は、ロケット弾がイスラエルに打ち込まれ始めると、イスラエルは、イスラエル市民を守るための戦争と言い始めます。しかしそのあと、今度は、トンネルを見つけたと言い、今度は、我々の任務はガザのトンネルの全てを破壊するまで攻撃を続けることだ、などと言うのです。

法律家として私たちはイスラエルの法廷の知性を重んじなくてはならないと言います。しかしイスラエルは知性を全く尊重しません。イスラエルは非常に取り乱し、傲慢です。彼らは、国際世論など一切お構いなしです。国際法も、市民も、ジュネーブ条約も、人間の価値も、一切お構いなしなのです。

聖なる血、聖なる土地、聖なる苦しみ。それはひとえにイスラエルのもの、ユダヤ人のものです。パレスチナ人の血、痛み、苦しみ、破壊は軽くて、非常に安っぽいのです。彼らはそれで別に構わないのです。イスラエル側は市民7人が今回殺されました。一方、パレスチナ人は2,243人が死亡。およそ12,000人が負傷。うち3,000人が障碍を負いました。1万から12,000棟の建物が全壊。30,000棟が部分的損傷。それが今回の収穫です。総決算です。

私たちが、人権活動家、法律家、人権団体としてスローガンとして掲げることは単純です。私たちは忘れる権利も、赦す権利もない、法的な記録を残すのみだ、ということです。戦争犯罪を全て記録に残すのです。私たちはその作業をしてきました。今もそれをまだ続けています。イスラエルの戦争犯罪者を追い続けます。今日も明日も。普遍的管轄権を通じて、あるいはICC国際刑事裁判所の場で。私たちが追い求めるのは、法の支配、国際法、国際人道法を使って、パレスチナ市民に対する犯罪を終えることです。

これらは単なる数字ではありません。ひとりひとりが人間です。尊い個人です。愛する家族があり、父がいて、母がいて、夫々が、苦痛と衝撃と悲哀、悲しみを感じたのです。イスラエルはその彼らの生活を、命を、消し去ろうとしたのです。イスラエルと言えば、ユダヤ人を第2次世界大戦中に迫害したナチス・ドイツを執拗に追跡し、責任を追及しました。それは正しいことでした。今度はそのイスラエルを追跡し、責任を問い、法廷で正しい裁きを下さなくてはなりません。私たちパレスチナ人は、そのようなユダヤ人という犠牲者から犠牲者にされることは納得できません。

オスロ合意から20年経ちました。和平に合意したはずでした。オスロ合意によれば、1999年5月4日にはその目的が達せられ、ガザ地区と西岸地区にエルサレムを含んで、立派な独立したパレスチナ国家が出来ているはずでした。それに署名したラビンとアラファトは、その功績で共にノーベル平和賞を受賞しました。

しかし、20年経った今、どういう結果になっているというのでしょう。オスロ合意のことはもう誰も覚えていません。しかし私たちは身にしみています。私たちは毎日そのツケを払わされてきました。オスロ合意の行き着いた先が、ガザの封鎖であり、社会的・経済的な窒息状態です。エルサレムでは民族浄化が繰り広げられユダヤ化が進み、西岸地区ではアパルトヘイトです。これまでにないペースで新しい入植地がどんどん作られて行きます。イスラエルの入植者たちが、土地を奪い、パレスチナ人の町を、村を、キャンプを、侵蝕して行くのです。侵入してくる際には、パレスチナ人を逮捕し、殺します。さらにはバイパスを作って、入植地をイスラエルの町や村とつないで行きます。西岸地区のおよそ480カ所に検問所があります。

パレスチナ人は西岸地区の南北の移動ができません。エルサレムと他の西岸地区の地域との間でも移動は許されません。エリコと西岸地区の他の土地、あるいはジェニン、ナブルス、ラマラ、ヘブロン、エルサレムの間もそうです。人も物も、自由な移動が許されないのです。

オスロ合意から20年。「和平プロセス」と言いながらその結末は、西岸地区では新種のアパルトヘイト(人種隔離政策)、エルサレムでは民族浄化とユダヤ化。ガザは封鎖され、この6年で3回の戦争です。

パレスチナ人が自ら選んだ比類なき最高指導者アラファトの最期はどうだったか、思い出して下さい。(イスラエル軍に)包囲され、屈辱の中、世界から隔絶され、砲撃を受け、最後は殺されたのでした。

(今のパレスチナ自治政府の指導者)アッバス議長のことを彼らは今「和平のもはや意味のないパートナー」と言っています。「テロリストのパートナー」とも言うのですが、ハマスは確かに、醜悪で、悪くて、ひょっとするとテロリストかもしれません。ひょっとすると私たちは、今ガザで起きているような目に遭うだけのことはあるのかもしれません。しかし、イスラエルが西岸地区でそのパートナーと今どうなっているかというと、(アッバスのことは)大切にされ、アメリカからもヨーロッパからも支持があるわけです。それが(オスロ合意)の結末です。

イスラエルが欲しいのはパレスチナ人ではありません。彼らが欲しいのは、パレスチナ人のいない土地なのです。ですからパレスチナ人の私たちから見て、イスラエルのしていることは、次のように考えて初めて、理解できるようになります。彼らはパレスチナ人に対して民族の浄化をしている。だからガザを爆撃するのです。だからガザを窒息させるのです。だからガザの水道や下水や人々の生活や命を奪うのです。しかし、パレスチナ人は抵抗します。世界が忘れようとも、私たちはこの好戦的・犯罪的な占領のことはけっして忘れません。抵抗します。フランス人はこう言いました。抵抗するのは私たちの権利であるだけではない。それは、自由を求める人々の権利であるとともに、義務でもある、と。

私たちは犯罪の大人しい犠牲者にとどまる権利はありません。子供が殺され、女が殺され、人々が殺されているのです。私たちパレスチナ人の生活が奪われ、命が奪われているのです。ハマスには抵抗する全面的な権利があります。イスラム聖戦やPFLP、DFLP、ファタハもそうです。私たちには抵抗する権利があります。少なくとも尊厳と誇りを持ち続けるためです。私たちは、戦争犯罪の善き犠牲者、大人しい犠牲者たることはできません。私たちは抵抗しなくてはなりません。

ですから全てのパレスチナ人が抵抗を支持したのでした。ですからハマスやイスラム聖戦やその他の勢力がガザでしたことは支持されたのです。イスラエルの犯罪的な攻撃に抵抗したからこそ、住民は支持したのです。私たちは殺され、血を流し、苦しみ、衝撃を受けました。しかし、人々は大変な誇りを感じたのです。

初めてのことでした。私たちは善き犠牲者たることを拒み、イスラエルのガザに対する計画はすべて失敗したのです。イスラエルという世界で6番目に強大な名だたる軍隊、核兵器も持つ軍隊も、その地上部隊はガザに数百メートルしか入って来れなかったのです。これ以上侵攻すれば、さらにイスラエル軍兵士の血が流されるということが、イスラエル軍にも分かったのです。

イスラエルは私たちに抵抗を思いとどまらせることはできませんでした。人々を止めることはできなかった。抑止は失敗したのです。私たちの抵抗の意志を挫くことは出来なかったのです。今回、ガザでは54万人の避難民が発生しました。ガザの住民の4人に1人以上です。しかし、誰もお腹をすかして夜眠りにつくということはありませんでした。人々の絆、優しさ、思いやり、分かち合いがあったのです。信じられないほど絶望的な状況にありながらです。それが私たちパレスチナ人です。私たちは人種差別主義者ではありません。しかし、私たちには誇りというものがあります。私たちは善き犠牲者にはなることはできません。ですから犯罪的で好戦的な占領に抵抗したのです。世界の耳目を集めた51日間の戦争でしたが、誰もそれを止めようとはしませんでした。

私は法の支配と国際法と国際人道法を信じる者です。これまでの20年、私たちが、欧米の外交官、特にアメリカの外交官ですが、大使とか、外務大臣たちと話をすると、彼らは、いつも1つのことをスローガンのようにして言い続けました。確かに人権、民主主義、法の支配は極めて重要である、不可欠である、実現してほしいと心から願う、しかしイスラエルとパレスチナの紛争は複雑だ、平和と安全のために、そういったことは少し脇におこう、と。まるで法の支配と民主主義と人権が平和と安全と矛盾するかのようなことを言うのです。

これまでの20年の最終的な教訓はこうです。法の支配、民主主義、人権をないがしろにすれば、平和も安全もない、ということです。それが最終的な教訓です。国際法と国際人道法と人権。それは知識人や学者のものではありません。市民のものです。市民が身を以て体現すべきものです。しかしそれは平和のときではなく、戦争のときにこそ市民のものでなくてはならないのです。市民は保護されなくてはなりません。それを怠ると、今回のようになるのです。ですから今、多くの罪の収穫となっているのです。

政治的意志により、イスラエルとパレスチナの紛争に欠けているのが、法の支配と民主主義と人権です。法の支配と民主主義と人権。それらは別にパレスチナ人が勝手に作ったものではありません。人類の経験の中でも最も尊いものを経て、必要とされ、生み出された規範です。規範がなければいけません。全ての人のために正しいことと悪いことを区別する基準です。それがなければ、強者の思うがままです。そして誰かが、この紛争の中で、それを(強者の思うがままを)望んでいるのです。だからうまく行かないのです。

ですから、繰り返しますが、法の支配、民主主義、人権、国際法、国際人道法。これらは欠かすことのできないものです。

二つ目は責任を問うということです。責任が問われなければ、何度も繰り返されます。パレスチナ人に対して、というだけでなく、他の人たちにも降り掛かるかもしれません。

2008年から9年にかけてのガザ侵攻のときには、ゴールドストーン調査団が報告書を提出しました。イスラエルのしたことを調査するというはっきりとした6ヶ月の調査の枠組みがあり、実行するメカニズムもちゃんとありました。あるいはICC国際刑事裁判所が引き受けるという道筋もあったのですが、待ったがかかり、葬られてしまいました。

2012年のガザ侵攻の時も、イスラエルは責任を問われませんでした。ですから、今回も犯罪的な侵攻が再び繰り返されたのです。責任が問われないのです。イスラエルは、何をしてもおとがめなし、無罪放免、と感じるでしょう。ですから、責任を問うということを、どうしてもしなくてはなりません。

特にヨーロッパとアメリカで起きていることですが、二つ、大きな変化があります。一つは、イギリスの裁判所とスペインの裁判所から(訳注:普遍的管轄権を使って)なんとかイスラエルの戦争犯罪を断罪する判断を引き出したのですが、これらの国の外務大臣や首相が、自国の裁判所で下された判断に関し、イスラエルに公に謝罪したのは衝撃的でした。司法の独立は一体どこに行ってしまったのでしょう?法の支配は一体どうなったのでしょう?

二つ目は、2012年以来、パレスチナが国連のオブザーバー国家の資格を得て以来、自治政府にはICC加盟のローマ規程調印・批准をしないよう圧力が掛けられて来ました。なぜローマ規程を調印・批准してはいけないのでしょう?イスラエルがパレスチナ人はテロリストだ、ハマスはテロリストだと言うのなら、裁判所に判断してもらったらどうでしょう?彼らは知っているのです。ICCで争われたら、イスラエルの戦争犯罪が明るみなり、イスラエルにとって地獄の門が開かれる、ということを。

イスラエルが行っているガザ封鎖は犯罪であり、イスラエルが行っている民族浄化は犯罪であり、イスラエルが行っている新種のアパルトヘイト(人種隔離)は犯罪であり、イスラエルが行っている入植地建設は犯罪であり、イスラエルが行っている併合は犯罪です。イスラエルは世界で最大の犯罪、人道に対する犯罪を溜め込んだ国です。ローマ規程に照らせば、その点ははっきりしています。ですから、私たちがICCのローマ規程に加盟すると、イスラエルは大変困ったことになります。ですから、待ったがかかり、道が閉ざされ、ローマ規程に加盟するなと圧力がかかるのです。法律を活用しないようにという圧力です。

こうして正義、正しい裁きは遅れ、拒まれるのです。実に恥ずべきことです。

私はガザの人間、パレスチナ人として、視野の狭い話をしているのではありません。世界市民としてそう言っているのです。

私はビン・ラーディンのような人がガザ来ることは望みません。ISISやイスラム国にも来てほしくありません。ガザに、私の国に。

しかし、私たちは、たいへん怒っています!苛立っています!すると欧米はなぜ?と聞きます。なぜ怒っているの?なぜ私たちを嫌うのか?アメリカは、ヨーロッパは、そう聞きます。私たちが何をしたと言うのか!?と。(では答えましょう)彼らは共犯者なのです!犯罪に組しているのです!彼らはビン・ラーディンの掟を私たちに押し付けようとしている!それが恥だと言うのです。

私がこう言うからと言って、私たちが絶望しているということではありません。あきらめようとしているということではありません。事実は認めなくてはならないということなのです。しかし、私たちはこれが、正しく、公平な正義の戦い、大義であることを知っています。私たちの心が歴史の正しい側、法律の正しい側、政治の正しい側にあることを私たちは知っています。そして私たちは知っています。占領が必ずや過去のものになることを。自由を求めて戦う者たちのためにこそ、明日があることを。

私たちの希望と夢を誰も私たちの心から奪うことができないことを私たちは知っています。私たちが孤立していないことを知っています。ひとりぼっちではない。世界に、自由な、真摯な人たちがたくさんいて、私たちの正しい戦い、私たちの大義を支持してくれていることを知っています。ロンドンで、パリで、マドリードで、ニューヨークで、南アフリカで、ストックホルムで、東京で、そしてそのほかの土地で、自由を求める真摯な人々が私たちパレスチナ人に支持と連帯の意志を表明しているのです。

私たちはいつの日か、必ずや、勝利するのであります!

ご清聴ありがとうございました。


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ラジ・スラーニ 各会場の講演と質疑:

 

1011日 東京大学

 ⇒ 講演「沈黙という名の共犯関係」

 ⇒ 質疑応答

1012日 東京大学

 ⇒ 土井敏邦監督の記録映画について

 ⇒ 臼杵陽教授との対談

1013日 京都大学

 ⇒ 講演「かくも重き罪 裁かれぬ理不尽」

 ⇒ 質疑応答

 ⇒ 京大講演 IWJ 動画 「ガザに生きる尊厳と平等を求めて」

1015日 広島大学

 ⇒ 講演  「戦争犯罪の責任を問う」

 ⇒ 質疑応答

1017日 東京四谷講演  弁護士集会

 ⇒ 講演「ガザの封鎖を解いて下さい」

 ⇒ 質疑応答

 



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